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二の足を踏んではいないだろうか。
断られることを、怖がってはいないだろうか。 上手くいっても「偽善者」だと呼ばれることを、心配してはいないだろうか。 待てよ、本当はそうなのだろうか。 だったら、いっそのこと、やらない方がいいか。 まあ、自分がやらなくても、誰かがやってくれるだろう。 もしも、このような考えにとらわれたなら、いっそのこと、これらを捨て去ってしまってはどうでしょうか。 困っている人や助けを必要としている人に、手を差し伸べる。些細なことでもいいのです。たとえば、電車やバスで、妊婦さんやご老人やケガをされている方に座席を譲ること。 「どうかな。失礼にならないかな。断られないかな。いいヤツのフリをしていると、周りから見られないかな。」 こういった考えを、いっそのこと、捨て去る。 エイッと立って、声をかける。笑顔と「ありがとう」で、上手くいく時もある。少し戸惑ったように、断られる時もある。けれども、たとえ断られたとしても、何てことありません。また座りなおせば良いだけです。それよりも、あなたがその行動をとったことで、本当に必要としている人に、手を差し伸べるチャンスが作られたのです。 あなたがやらなくても、他の人がやってくれたかどうかは、分かりません。やってくれる時もあれば、やってくれない時もあるでしょう。けれども、あなたが行動をとれば、それは確実に行われます。 世界には、不安定な国の、貧しい地域の、恵まれない境遇に生まれてくる人たちが、大勢います。戦闘地域など、命の危険の真っ只中に生まれてくる人たちもいます。差別という深い闇のなかで、怒りと涙をこらえながら生きている人たちもいます。また、豊かな国のカッコよさそうな都会でも、明日の給食費を払ってもらえない、おなかを空かした子どもたちもいます。モノの溢れる日本ですら、325万人もの子どもたちが、貧困状態にあります。 助けを本当に必要としているその人たちに、何かをしたい。それは、寄付でもいいし、ボランティアでもいいし、難民受け入れを呼び掛けることでもいい。些細なことでも、小さなことでもいいのです。そして、自分自身さえ「偽善者ではない」と分かっていれば、空気のような周りの声は、聞き流せばいいのです。 それらの声より、もっと大切なことがここにはあります。 きっと、せっぱ詰まっている、助けを本当に必要としている人たちからすると、たとえ偽善者だろうが何だろうが、今すぐ助けの手を差し伸べてくれる人を、心待ちにしているでしょう。もしもあなたが、助けを必要としているその人ならば、そうではないでしょうか。何もしてくれない「良い人」より、助けてくれる「偽善者」でも、ありがたい。わらにもすがりたい思いとは、このようなことではないでしょうか。 とてもシンプルに、困っている人や助けを必要としている人に、手を差し伸べること。 断られたら、手をもとに戻せばいいだけです。きっと、断ったその人は、それほど困ってはいなかったのでしょう。それは、困っている人がこの世の中でひとり少ないという、喜ばしい事ともとらえられますね。 そうやって、助けを本当に必要としている人に、手を差し伸べるチャンスを作り続けること。これは、すべてプラスです。マイナスなんて、何ひとつありません。 人生において、すべての人に分け隔たりなく起こることは、人は生まれて、そして、いづれ死ぬということです。それならば、自分が生まれてきたことにより、この世界を少しでも、1ミリでも良くできたのなら、自分の人生は無駄ではなかったと思えること。 そして、それぞれの人生の道のりにおいて、今日できなかったら、明日はやってみよう。そう思えること。それもまた、プラスではないでしょうか。 同じテーマを読む:ある視点 Comments are closed.
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