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【正直な平和教育】
未来に伝え継がれる教育において、最も重要ともいえる、学校教育はどうでしょう。 現在のドイツにおける歴史教育では、ナチス時代について充分な時間をかけて、詳しく、小学校高学年から高校にかけて、継続的に教えています。ドイツの教科書は、ドイツ人が加害者だった事実を強調しており、ホロコーストなどの戦争加害はもちろんのこと、ナチスに政権を委ねた国民自身の責任をも問うています。 また、どのようにヒットラーが権力を得たか、なぜそれが出来たか、どうしてそれに気が付いても誰も何もしなかったのかなど、討論を組み込み、意見を述べ、深く掘り下げて、教育することが中心となっています。それは、学生を民主主義の主体者として、育成する教育でもあります。 このような教育を受けた場合、学生は自国民であることを「恥ずかしい」と思い、罪悪感を覚え、自国に誇りが持てなくなるのではないか、と思われがちです。しかし、実際にこの教育を受けた多くのドイツ学生は、学びの後に抱く感情は「罪悪感」ではなく、むしろ、歴史の事実を回避することなく、再び繰り返さない教育をしている、自国への「誇り」だと語っています。 それでは、現在の日本における歴史教育では、軍国主義について充分な時間をかけて、詳しく、子供たちに教えているのでしょうか。日本の教科書は、日本人が加害者だった事実を強調して、慰安婦問題などの戦争加害はもちろんのこと、軍国主義に政権を委ねた国民自身の責任をも問うているのでしょうか。どのように軍部が権力を得たか、なぜそれが出来たか、どうしてそれに気が付いても誰も何もしなかったのかなど、討論を組み込み、意見を述べ、深く掘り下げて、教育することを中心としているのでしょうか。学生を民主主義の主体者として、育成する教育をしているのでしょうか。 残念ながら、日本の歴史教育において、軍国主義にあまり時間をかけず、慰安婦問題や戦争加害についてほぼ触れず、国民自身の責任は全くと言っていいほど問わず、教科書に沿った暗記に終始して、討論や意見や深く掘り下げることは皆無に等しく、学生を民主主義の主体者として育成する意思は伺えません。 さらに、日本の歴史教育の中で特に重要な位置をしめる、教科書についても考えてみます。戦前の日本では、1903年から1945年までは学校で使用する教科書が、日本政府により一種類しか認められていなかったため、国民は国が教えたいことを、国が教えたい通りに教わるしかありませんでした。このような一方的な教育を、国民が許容してしまったことも、日本が戦争に暴走した、大きな理由のひとつではないでしょうか。国民が多くの知識を得ることを要求して、モラルを身に付けて、自分の頭で考えて、そして戦争にストップをかける。残念ながら、この様な主体性や自発性が、多くの国民にはなかったのです。 敗戦に伴い、「国にだまされた」と疑念を抱いた国民に応えるように、1949年に政府は教科書検定制度を導入します。この新しい制度は、複数種類の教科書を国が認可して、その中から使用するものを、各学校や教師が選べるというものでした。戦前のように一種類しかなく、何も選択できないよりはマシですが、これを本当の「自由な選択」とはとても言えません。 そのような状況ではあったものの、戦後まもなくということもあり、教科書を書く方も、認可する方も、それを使い学ぶ方も、みな戦争の悲惨をその身をもって体験した人たちです。戦前のような、国による明らかな情報操作はまかり通りませんので、その時期の教科書には、戦争加害者としての人間のおぞましさが、しっかりと書かれている部分もありました。 しかし1963年には、教科書選択の権限が、各学校や教師から奪われます。代わりに、公立の小・中・高校において、教科書選択の権限は、教育委員会に移りました。教育委員会とは、国や地方の行政から、法的や政治的な干渉を受けている組織。日本では、中央政府が地方政府を権力において圧倒していますので、結局は、戦後18年余りで、戦前の「国が教えたいことを、国が教えたいように」とほぼ変わらない状況に、日本の教育は戻ってしまったのです。 また、丁度その頃から、歴史教科書の内容についても、国は圧力を強めます。1962年の教科書検定で、「戦争を暗く表現しすぎている」との理由により、不合格とされる歴史教科書がありました。1982年には、日本軍が中国に「侵略」と書いてあったのが、検定で「進出」という表現に変えさせられた歴史教科書がありました。また、2001年に検定を合格した歴史教科書について、ノーベル文学賞受賞者である大江健三郎をはじめ17名が、「従軍慰安婦・・・への言及が激減し、日本の朝鮮植民地支配や中国侵略を正当化している・・・加害の記述を後退させた」として、政府に強く抗議しました。 そこで、なぜ日本は「国が教えたいことを、国が教えたいように」という一方的な教育に、それ程までにこだわるのでしょう。それは、戦後まもなくして「日本人が、再び日本に誇りを持てるように」と、政府が考えたことが関係しています。その考え自体は、ドイツとさほど違いがないように思われます。ドイツ政府も、「ドイツ人が、再びドイツに誇りを持てるように」と考えました。しかし、その「誇り」を取り戻すための方法が、真逆と言っていいほど、日本とドイツでは違いました。 ドイツでは、本文でも既に述べたように、ドイツ人が加害者だった事実を強調して、ホロコーストなどの戦争加害はもちろんのこと、ナチスに政権を委ねた国民自身の責任をも問う。「自国への誇り」を取り戻すため、自分たちにとって、厳しくも事実に向き合う方法を選びました。 一方で、日本では戦前のように、政府が国民の考えを操作しようとする方法を選んでしまいました。それは「日本人であることを『恥ずかしい』と思い、罪悪感を覚え、日本に誇りが持てなくなる」と思われがちな歴史教科書の記述は、たとえ事実であっても、多くの証人や資料が戦争により失われた今、それらは証明できないという理由とも言えない理論で、圧力をかけて徐々に削除することでした。 日本では「自国への誇り」を取り戻すため、自分たちにとって、厳しい事実から目をそむける方法を選んでしまったのです。残念なことに国がその方法を選び、そしてもっと残念なことに、多くの国民もそれに便乗し、易きに流れてしまったのではないでしょうか。 続きを読む:謝罪、そして、つぐない(6)【心の傷に寄り添う】 前回を読む:謝罪、そして、つぐない(4)【被害も加害も】 全シリーズ:謝罪、そして、つぐない(1)~(6) [1] [2] [3] [4] [5] [6] 同じテーマを読む:暴力/平和 Comments are closed.
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