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【構造的な問題】
現在の日本が直面する大問題の解決策は、人権意識を育む「教育と多様性」。 それを実現するには、二つの大改革が必要不可欠です [詳しくは前回]:
しかし、この二つの大改革は、とても高いハードルだと思われます。なぜなら、日本は今も昔も変化を避ける傾向があるから。 先の戦争もそうです。やってはいけないと薄々気がついてはいても、方向転換できなかった。ボロボロになって、負けると解っても、変われなかった。その結果は、悲惨極まりなかった。 それから80年。かつての軍国日本のように戦争ができる国に戻すことを容認する圧倒的な保守化が進んでいます [詳しくは#129]。今でも変われない。変化を避ける人たちが、あまりにも多い現実です。 また最近では、福島原発事故もそうです。この事故で私たちが学んだのは、原発は持続できないということ。[詳しくは#17] 未曽有の自然災害により事故が起こったのは、たまたま民主党政権のときですが、自民党は1955年に立党して以来、約5年間を除き日本の政権を担っています。「原発は安全だ」と吹聴しながら、日本に54基もの原発を建設したのは自民党です。 また、事故直後は「脱原発・原発ゼロ」に並々ならぬ関心を寄せた国民ですが、15年もしないうちに、原発の再稼働どころか増設まで押し進める自民党に戻ってしまいました。 方向転換できない。変われない。 そのパターンを脱却するために、移民を積極的に受け入れて、 インクルーシブ教育を導入する必要がある。それを可能にするのは政権であり、すなわち選挙における人びとの投票です。 変化を避けるのをやめて、変化を取り入れる。そのような人たちを育てるのは教育です。先ずは教育を変えなければならない。 でも、どう変えたら良いのか、何をやればいいのか、ピンとこない人たちが多い。それもその筈、実際にインクルーシブ教育を受けて育った人たちが、国内にあまりいないから。 それなら、インクルーシブ教育で育った人たちを海外から受け入れなければならないのに、その変化すらも避けてしまう。 そうしている内にも、問題はどんどん広がってしまう。 それでも、この問題を危惧して、ようやく「ゆとり教育をやってみよう」となったのは2002年頃。けれども、人材不足のまま導入した結果、その実践はお粗末でした。 例えば、記憶力ベースの大学受験を緩和して、自分の頭でしっかりと考えられる人を育てることを目的としているのに、国際学力調査(PISA)での結果が落ちたとたん「学力低下だ!」と騒ぎ立てて、わずか8年間程でゆとり教育は廃止されました。 新しい能力を育てる教育を、昔ながらの物差しで測ってしまったのです。 良くても・悪くても「昔ながら」を保守したい人たちが大勢いて、変化を妨げる。政治を仕切る人たちが「昔ながら」を保守したい人たちだらけで、インクルーシブ教育で育っていない人たちばかり。 そうなるのも、やはりインクルーシブ教育で育っていない人たちが、保守系政党を選び続けるから。 それが、変化への弱さを生んでいるのです。 変化を避ける。変化を妨げる。 このままではいけないと薄々気がついてはいても、方向転換できない。変われない。
負の連鎖です。 卵が先か、ニワトリが先か。 戦後80年、日本の大問題は構造的な問題なのです。 前回を読む:戦後80年、日本の大問題(9)【解決策】 同じテーマを読む:多様性/インクルーシブ 【解決策】
これまで8回に渡って、現在の日本が直面している大問題について書いてきました。ここで、解決策を提案してみたいと思います。 先ずは、この大問題の本質を簡潔に捉えてみます。
戦前の日本はジリ貧に陥ってしまい、もはや国内に留まったのでは人びとの生活が苦しくなってしまいました。そこで、中国・韓国などアジア諸国を植民地化し、暴力的に搾取したのです。「欧米から日本を守れ」と号令をかけて、正当防衛の名の下に侵略戦争を「聖戦」と呼ぶために「天皇は神様」なのだと、国が教えたいことを教えたいように教育しました。 現在の日本において「移民を受け入れるくらいなら、日本はジリ貧の末に静かに滅んでいく方がマシ」などという、一見すると控えめで、攻撃性のなさそうな意見が散見されます。けれども、今後ますます給料が減り、世界一の借金大国がゆえに社会保障もどんどん削られ、少子高齢化が進んだうえに人口がみるみる減少したら、どうなると思いますか。 想像してみてください:
そうなると、戦前のような攻撃性がでてくることは、容易に想像できるでしょう。 それを示唆するかのように、ほとんどの保守系政党が「中国から日本を守れ」と号令をかけて、正当防衛の名の下に、戦争のできる国に戻すために、平和憲法の破壊に動いています [詳しくは#64]。それらの政党を、人びとが圧倒的に支持し続けていることから [詳しくは#129]、先の戦争の二の舞になる兆候が見られるのです。 これらを考えると、この大問題の解決策は、人権意識を育む「教育と多様性」であることが理解できます。[詳しくは#124] それを実現するには、二つの大改革が必要不可欠です。 [改革 その1] 移民を積極的に受け入れる 欧米の先進国と呼ばれる国々と比較すると、日本は移民をあまり受け入れていません [詳しくは#109]。それは、未だに正式な移民政策を拒絶しているから。 文化・習慣が異なった人たちを積極的に受け入れる移民政策を導入し、大きな器をもって多様性を歓迎し、多彩な背景の人たちと共に生活することにより、インクルーシブな環境は整えられるのです。また、日本の大学への留学が、世界中の学生たちにとって魅力的になります。 [改革 その2] インクルーシブ教育を導入する インクルーシブ教育を大切にする程、幅広い知的・情緒的・社会的・創造的といった多角的な能力を意識して育むようになります。学生たちのもつ人権意識・多様性への寛容さ・社会活動への積極性、さらには事実に裏付けられたエビデンスをベースとして、自分の頭でしっかりと考えられる・それを行動に移す能力にも、大きな向上が生まれがちになる。[詳しくは#125] それらの能力を身に着けると、排外主義・ナショナリズム・軍国主義・ファシズムなどへ流れにくくなり、平和主義・非暴力・平等・正直な平和教育などに賛同しがちになります。 また、インクルーシブ教育が充実する圧倒的にリベラルなアメリカ都市部(シリコンバレーやウォール街、最先端の医療やエンターテインメント業界など)のような繁栄を目指し、インクルーシブ教育を否定しがちな圧倒的に保守なアメリカの地方・田舎(農業や林業、鉱業や石油産業など)のような衰退から脱する力にもなります。[詳しくは#128]・[#125] 次回は、この大改革の考察を深めたいと思います。 続きを読む:戦後80年、日本の大問題(10)【構造的な問題】 前回を読む:戦後80年、日本の大問題(8)【若い世代でさえ】 同じテーマを読む:多様性/インクルーシブ 【集まらない原因2】
日本のエリートと呼ばれる大学ですら、世界中から学生があまり集まらない。 なぜ、集まらないのか。その大きな原因は、主に二つ。 [原因 その1] 就職・生活へのつながりが乏しい。 こちらは、前回のブログで説明しました。 [原因 その2] 給料が低い 一人当たりのGDPは、その国における生産性を測る指標ですが、ざっくり概算として、すべての職業の平均年収を表すとも言われます。なぜなら、一人当たりの生産性が低いと、支払える給料が低くなりがちなのは、ある意味当然だからです。 そこで、以下のデータです。 2024年の一人当たりGDP(カッコ内は世界ランク):
比較のため米ドル換算になりますが、今や、日本はアメリカの4割にも満たない。 また、アジアにおいて:
そして、何よりも残念なのは、日本はみるみる落ち目なのです。 経済全盛期の1990年当時は:
それから35年ほどで、シンガポールを除いては、他国が上がったというよりも、むしろ日本が著しく下がった印象です。余談ですが、シンガポールの躍進が際立っているのと、人口の約47%が移民であることは、インクルーシブ経験の観点からも一致します。 そもそも移民・難民・避難民の受け入れなど、あらゆる人権・人道面において、日本は当時から「先進国」とはとても呼べませんでした [詳しくは#109]・[#110]。そして現在、バブル崩壊からの「失われた35年」により、唯一頼みの綱だった経済面でさえ「先進国」とは呼び難いほど衰退してしまったのです。 生産性・給料が衰退する場所へは、世界中から学生が集まり難いのは当然でしょう。 それは日本のみならず、アメリカ国内でも同じ。トランプ政権は「Make America Great Again」(MAGA)のスローガンを掲げ、その支持が高い保守的な地域は地方・田舎にある。けれども、世界中の学生の殆どが、アメリカの地方・田舎の農業や林業、鉱業や石油産業などを夢見て、渡米したいとはあまり考えていないでしょう。 むしろ、圧倒的にリベラルな都市部のシリコンバレーやウォール街、最先端の医療やエンターテインメント業界などを夢見て、渡米してみたい人たちが大多数でしょう。 それでもリベラルを破壊したいトランプMAGAの矛盾は、明白です。 より開かれ、よりオープンである程、世界中の学生たちは引き寄せられる。 より閉ざされ、より排他的である程、世界中の学生たちは避ける。 以下のデータは、世界の大学 4大ランキングにおいて、トップ50にランクインしている日米の大学の数です。あくまでも参考程度ですが、4つの有力な指標を持ち合わせることで、大枠を捉えることはできるでしょう。 なお、4大ランキングとは:
世界トップ50(カッコ内は校数):
このようにランキングからも、世界中の学生たちを引き寄せる力の差が伺えます。 日本は 1)就職・生活へのつながりが乏しい、2)給料が低い。これらにより、世界中から学生があまり集まらず、インクルーシブな環境を整えられないのです。
この繰り返しです。 そして、この悪循環・負のスパイラルの行きつく先には、ジリ貧しか残されない。 次回は、先日結果が確定した衆議院総選挙を踏まえて、この考察を深めたいと思います。 続きを読む:戦後80年、日本の大問題(8)【若い世代でさえ】 前回を読む:戦後80年、日本の大問題(6)【集まらない原因1】 同じテーマを読む:多様性/インクルーシブ 【集まらない原因1】
アメリカの都市部が圧倒的にリベラルなのと比較して、日本・東京およびアメリカの地方・田舎が圧倒的に保守なのは、インクルーシブな経験の違いが、最大の理由です。以下は、エリートと呼ばれる大学における学生の割合。 外国籍・移民:
人種:
日本における外国人留学生の最多は東大で16%。移民については、データが存在しない程ごく少数。 [詳しくは前回] この事実を知ってか知らずか、少なからぬ人たちから漏れ聞こえてくる意見がこちら: 「東大は外国人じゃなくて、日本人をもっと入れてあげればいいのに。」 しかも、自分自身や自分の子どもはアメリカなど、外国人留学生を積極的に受け入れてくれる恩恵に預かった人たちでさえ、このように主張するケースが散見されます。 けれども、見ての通り現実は、日本のエリートと呼ばれる大学ですら、世界中から学生があまり集まらない。もしかしたら実際は、それほど集めようとしていないのかも知れませんが、大学側の情報を見る限りにおいては、とても熱心に集めようとしている様子が伺えます。 それでは、なぜ、集まらないのか。 大きな原因は、主に二つでしょう。 [原因 その1] 就職・生活へのつながりが乏しい 世界中の学生たちを引き寄せる大学では、インクルーシブな教育・環境がとても大切にされています。そして、インクルーシブな環境とは、もちろん卒業後も、その国で就職・生活へとつなげられることを含みます。 特に最近の大学生たちは、卒業後の就職に並々ならぬ関心を寄せているので、大学を選ぶ際にも、就職を前提に決める傾向が高い。さらに就職は、社会人としての人生をどの場所でスタートさせるのか、基盤をどこで構築するのかに、大きな影響を及ぼします。 そのため、移民を多く受け入れる国は世界中の学生たちにとって、とても魅力的。 そこで、以下のデータです。 移民の受け入れ (カッコ内は人口の割合):
日本はたった2%。インクルーシブな国々と比較すると、あまりに排他的と言わざるを得ない。 [詳しくは#109] ・[#82]。 この事実を知ってか知らずか、少なからぬ人たちから発せられる声がこちら: 「外国人だらけだ!」 「中国人に乗っ取られる!」 「日本が日本でなくなってしまう!」 世界の実情を知ったならば、あまりにも浅はかです。残念なことに、自分自身や自分の子どもはアメリカなど、外国人を積極的に受け入れてくれる恩恵に預かった人たちでさえ、このように主張するケースが散見されるのです。 また、外国人を脅威と捉えて、保守的な発想で恐怖心をあおる: 「外国人が増えたせいで、犯罪も急増してる!」 けれども、警察庁でさえも、そのような事実はないと発表しています。ここでも、事実に裏付けられたエビデンスをベースにできず、自分の頭でしっかりと考えられないことが、問題の根底にあるようです。 もっとも、都会のコンビニなどで働く技能実習生たちを中心として、近年、日本において外国人が増えているのは事実。けれども、それは少子高齢化により、仕事を担ってくれる人たちが減っているから。日本社会を安定的に回すための労働力確保として、誰よりも日本に住む人たちにとって必要不可欠であり、有難いことなのです。 それでも、先進国と比較すれば、ほんの少し増えた程度。 しかも、「技能実習制度」とは名ばかりで、特別な技能を教えるのは殆どなく、人気があるとは言い難い仕事を低賃金でしてもらい、転職も許されず、しかも数年で日本から追い出される。また、現代奴隷制と呼ばれるほど悪質なケースも目立ち、「育成就労制度」への移行が決まりましたが、これも人びとの保守的な発想が変わらなければ、名ばかりに終わってしまうリスクが高い。 話を元に戻しますが、もし、このような日本社会、移民をあまり受け入れない国で就職したら、せっかく日本で人生の基盤を構築し始めたのに、数年で追い出される。それは、仕事や住居のみならず、人や地域社会とのつながり等、ほぼすべてをやり直すことを意味します。 そのような不安を前提とした日本へ留学するのは、世界中の学生たちにとって魅力的とは言い難いでしょう。 現在のトランプ政権は、アメリカを日本のような国にしたくて仕方がないようです。それは、人種・民族的な圧倒的マジョリティが支配する社会を目指すもの。そのためには、移民を減らし、外国人留学生を減らす。難民であろうが、家族を引き裂こうが、非正規滞在者を厳しく追放することをためらわない。 そのような保守的な政策が、アメリカで強行されてから僅か1年。既に、世界中の学生たちがアメリカへの留学を敬遠し始めています。ここからも、いかに就職・生活へのつながりが、学生たちにとって重要なのかが伺えます。 次回は、二つ目の原因を考察したいと思います。 続きを読む:戦後80年、日本の大問題(7)【集まらない原因2】 前回を読む:戦後80年、日本の大問題(5)【インクルーシブ経験】 同じテーマを読む:多様性/インクルーシブ 【インクルーシブ経験】
日本の教育制度は「国が教えたいことを、国が教えたいように」教育するシステムです。そして、ひたすら詰込み型の暗記が得意な学生を高評価する、記憶力ベースの大学受験。 それとは対照的に、アメリカの都市部で広く受け入れられるインクルーシブ教育は、幅広い知的・情緒的・社会的・創造的といった多角的な能力を意識して育みます。 多くのアメリカの大学が、世界中から多彩な背景の人たちを歓迎する環境を整えようとするのは、インクルーシブ教育を大切にするからこそ。 それを裏付けるデータがこちら。以下は、エリートと呼ばれる大学における学生の割合。 1. 外国籍・移民
米国:約25%(スタンフォード大)から39%(コロンビア大)が外国籍。また、現在のトランプ政権とは真逆で、従来はリベラルな発想で移民を積極的に受け入れる国らしく、外国籍の学生たちに加えて、さらに32%が移民。半数を大きく上回る学生が、外国籍もしくは移民。 日本:約2%(慶応)~16%(東大)が外国籍。移民については、データが存在しない程ごく少数。 2. 人種
米国:
日本:詳細なデータは存在しませんが、外国籍のうち、約93%がアジア出身(中国・ネパール・ベトナム・ミャンマー・韓国、など)。学生の大多数が日本人であることと合わせると、99%超がアジア系。 3. ジェンダー
米国:女性が約51%(プリンストン大)~54%(ハーバード大) 日本:女性が20%(東大・京大)~39%(早稲田) -------------------- 以上のデータから、アメリカの大学が世界中から多彩な背景の人たちを歓迎する環境を整えたインクルーシブ教育を実践しているのに対して、日本の大学は多様性を歓迎する環境を整えているとは言い難い現状が浮き彫りになります。 日米のエリートと呼ばれる大学の間でさえ、ここまで違いが歴然としているのですから、幅広い知的・情緒的・社会的・創造的といった多角的な能力を育むことや、人権意識・多様性への寛容さ・社会活動への積極性、さらには事実に裏付けられたエビデンスをベースとして、自分の頭でしっかりと考えられる・それを行動に移す能力にも違いが生まれがちになるのは、明白でしょう。 もちろん、インクルーシブ教育を受ける機会がなかった人であっても、多角的な能力を身につけ、人権意識を大切にし、事実に裏付けられたエビデンスをベースとして、自分の頭でしっかりと考えて行動に移せる人はいます。 他方、エリートと呼ばれる大学でインクルーシブ教育を受けた人であっても、多角的な能力を身につけられず、人権意識が希薄で、事実に裏付けられたエビデンスをベースにできず、自分の頭でしっかりと考えられない・行動に移せない人もいます。 けれども、それらをもってしても、大きな傾向を忘れないようにしたい。 それは、人権意識を育む「教育と多様性」が備わった環境で学ぶことが、「保守的な発想」から抜け出し、「リベラルな発想」へのきっかけをつくるということ。 それをはっきりと裏付けるデータがこちら。以下は、2024年のアメリカ大統領選における、有権者の学歴と投票結果。
同じく、2020年の大統領選においても、
大学でのインクルーシブな経験が、「保守的な発想」から抜け出し「リベラルな発想」へのきっかけをつくる様子を、はっきりと映し出しています。 それとは対照的に、7月の参議院選において、日本全国で保守系71.1%vsリベラル系28.9%という結果のみならず、教育・多様性など何においても集中しがちな東京都でも、全国をしのぐ保守系75.2%vsリベラル系24.8% [詳しくは#123]。この保守支持率が、インクルーシブな教育が行き届いていないアメリカの地方・田舎と似ているのは、もはや納得がいきます。 アメリカの都市部が圧倒的にリベラルなのと比較して、日本・東京およびアメリカの地方・田舎が圧倒的に保守なのは、インクルーシブな経験の違いが、最大の理由なのです。 続きを読む:戦後80年、日本の大問題(6)【集まらない原因1】 前回を読む:戦後80年、日本の大問題(4)【大学受験】 同じテーマを読む:多様性/インクルーシブ 【大学受験】 人権意識を育む「教育と多様性」は、事実に裏付けられたエビデンスをベースとして、自分の頭でしっかりと考えられる・更にはそれを行動に移す能力を身につけることを、最も重要としています。それらが備わった環境で学ぶことが、「保守的な発想」から抜け出し、「リベラルな発想」へのきっかけをつくります。 そこで、日本の教育を見てみましょう。 ひと言で表すと、日本の教育制度は教育委員会を通して「国が教えたいことを、国が教えたいように」教育するシステムです。[詳しくは#25] その日本の教育は、記憶力ベースの能力を身に着けるには、とても優れています。元をたどれば、約2000年前に中国から日本へ伝わってきた記憶力ベースの漢字システムや、2500年前の中国に生きた孔子の教えが、儒教として、日本を含むアジア広域に受け入れられた歴史に起因するのでしょう。 「優れた指導者に従い、生きなさい」とする儒教の基本的な教えをもとに、庶民は自分の頭で考えるよりは、むしろ考えない方が、「優れた指導者たち」の指示に従ってくれる。それに適しているのが、記憶力ベースの教育になってしまったようです。 例えば、戦後の焼け野原からの復興を支えた高度経済成長期において、そこそこな商品を低コストで大量生産するには、この教育は最適でした。「優れた指導者たち」とされる政治家から、企業トップへ指示が下りて、その指示通りに動く労働者が大勢必要とされる時代だったからです。 とても残念なのは、時代は移り変わり、世界はどんどん進歩しているのに、日本の教育はそこからあまり前進していないこと。良くても・悪くても「昔ながら」を保守するのに固執しているとも言えるでしょう。 そして、寝る間も惜しんで塾に通い、ひたすら詰込み型の暗記が得意な学生を「自頭が良い」とか「知識豊富」などと高評価する、記憶力ベースの大学受験。「受験には役に立たないから」とされる活動はほぼ切り捨てられ、もっと幅広い社会活動から学ぶことによって身に着けられる知的・情緒的・社会的・創造的といった多角的な能力が習得しづらくなる。 なので、事実に裏付けられたエビデンスをベースにできず、自分の頭でしっかりと考えられない・行動に移せない人を育てがちになる。 それとは対照的なのが、アメリカの都市部で広く受け入れられるホリスティック教育です。 ひと言で表すと、アメリカの教育制度は学校ごと・教師ごとにカリキュラムを作る自由度が高い教育システムです。 それゆえ、同じアメリカ国内であっても、都市部で広く受け入れられるホリスティック教育と、地方・田舎で受け入れられる教育が、まったく違うという事象が起こります。 ホリスティック教育で、とても重要とされているのが、学校の成績や共通テストの点数のみならず、課外活動・部活・ボランティア・インターンシップ・起業など、社会活動です。単なる見せかけではなく、実質の伴った経験が、大学受験での高評価にもつながります。 ここに、性別・人種・民族・出身・家庭環境など、多様性を歓迎する環境で学ぶことを加えたのが、インクルーシブ教育です。 多くのアメリカの大学が、世界中から多彩な背景の人たちを歓迎する環境を整えようとするのは、インクルーシブ教育を大切にするからこそ。 「けど、学校の成績・共通テストの点数が高い人を落として、低い人を合格させるのは、不公平でしょ。」記憶力ベースの大学受験が公平だとする人たちから、よく聞かれる意見です。 けれども、ホリスティック教育は、学生の評価は成績・点数だけでは測れないと理解します。 ほんの一例に過ぎませんが、たとえば、経済的に困窮する家庭で育つ学生は、親が朝早くから夜遅くまで働いて、やっとの思いで日々の生活が保てることも多い。なので、家計を助けるためにバイトに明け暮れ、幼いきょうだいの面倒をみるのに長時間かかり、とても、優れた塾に通ったり、優秀な家庭教師に教わるような、時間もお金もない。 他方、経済的にゆとりのある家庭で育つ学生は、生活面は親がすべて整えてくれて、優れた塾に通ったり、優秀な家庭教師に教わるような、時間もお金もある。 そもそも、経済的に困窮する家庭で育つ学生の成績・点数が低くなりがちな社会構造になってしまっていることを、インクルーシブ教育は理解します。ですので、一律的な基準ではなく、それぞれの学生の状況・個性・人格を、できる限り捉えた評価を目指します。 「公平な選考のために、全員に同じ試験を受けてもらいます。あの木に登ってください。」
(作者:不明) 日本とアメリカの都市部における大学受験がこれほど違うと、小中高校で教える内容も、取り組む姿勢も違ってくる。また、教師自身の育成方法・教え方・考え方にも違いが生まれます。 インクルーシブ教育を大切にする程、もっと幅広い知的・情緒的・社会的・創造的といった多角的な能力を意識して育むようになります。 そして、大学入学前の段階で既に、学生たちのもつ人権意識・多様性への寛容さ・社会活動への積極性、さらには事実に裏付けられたエビデンスをベースとして、自分の頭でしっかりと考えられる・それを行動に移す能力にも違いが生まれがちになる。 それらが「保守的な発想」から抜け出し、「リベラルな発想」へのきっかけをつくる。 これが、アメリカの都市部が圧倒的にリベラルなのと比較して、なぜ、世界的大都市と呼ばれる東京は圧倒的に保守なのかの、最大の理由でしょう。 次回は、データを用いて、この考察をより深めたいと思います。 続きを読む:戦後80年、日本の大問題(5)【インクルーシブ経験】 前回を読む:戦後80年、日本の大問題(3)【教育と多様性】 同じテーマを読む:多様性/インクルーシブ 【教育と多様性】
前回も紹介した通り、
さらに、州全体で保守系が当選した、いわゆる田舎的なイメージをもつ州内であっても、
これらが示すように、アメリカの都市部が圧倒的にリベラルなのと比較して、なぜ、世界的大都市と呼ばれる東京は圧倒的に保守なのでしょう。 都市部が重要な指標になるのは、世界中の傾向として、人・教育・仕事・多様性など、何においても都市部に集中しがちだから。東京・一極集中が際立つ日本では、なおさらです。 そこで、人権意識を育む「教育と多様性」に着目してみます。 より具体的には、人権意識を育む「教育と多様性」が充実する程、人びとは、
・・・などに流れにくい。そして、良くても・悪くても「昔ながら」を保守しようとする=「保守的な発想」から遠ざかる傾向があります。 また同じく、人権意識を育む「教育と多様性」が充実する程、人びとは、
・・・などに賛同しがちになる。そして、昔ながらの良き部分は守り・悪しき部分は変えてゆく「より良い明日」へ前進しようとする=「リベラルな発想」へ近づく傾向があります。 ここでいう「保守的な発想」から「リベラルな発想」へのシフトは、たとえば次のような例を意味します。
人権意識を育む「教育と多様性」は、事実に裏付けられたエビデンスをベースとして、自分の頭でしっかりと考えられる・更にはそれを行動に移す能力を身につけることを、最も重要としています。それらが充実する程、人びとは「保守的な発想」から遠ざかり、「リベラルな発想」へ近づく傾向があります。 もちろん、どの国においても、優れた教育を受ける機会がなかった人であっても、事実に裏付けられたエビデンスをベースとして、自分の頭でしっかりと考えて行動に移せる人はいます。 他方、どの国においても、エリートと呼ばれる大学で教育を受けた人であっても、事実に裏付けられたエビデンスをベースにできず、自分の頭でしっかりと考えられない・行動に移せない人もいます。 特に問題なのは、せっかく誰もが羨むような大学で教育を受ける機会に恵まれた人であっても、そこで培った能力を、自分の利益を最優先するために抜け道を探したり、自分に都合の良い解釈をひねり出したりすることに、せっせと利用する人でしょう。 けれども、それらをもってしても、大きな傾向を忘れないようにしたい。 それは、人権意識を育む「教育と多様性」が備わった環境で学ぶことが、「保守的な発想」から抜け出し、「リベラルな発想」へのきっかけをつくるということ。 ここから、アメリカの都市部が圧倒的にリベラルなのと比較して、なぜ、世界的大都市と呼ばれる東京は圧倒的に保守なのかが、見えてきます。 次回は、日米の教育・多様性をふまえて、この考察を深めたいと思います。 続きを読む:戦後80年、日本の大問題(4)【大学受験】 前回を読む:戦後80年、日本の大問題(2)【都市部でさえ】 同じテーマを読む:多様性/インクルーシブ 【一人ひとりを大切に】
「ちやほやされて得するなら、私は社会で活躍しなくてもいい」という女性にも。「女性が男性と同じように、活躍しやすい社会であってほしい」と願う女性にとっても。 大切なのは、どちらの人にも、そして多様な女性たちにとって、性別に関係なく、生きやすい社会をみんなで目指すこと。 そう考えたならば、多様な男性たちにとっても、同じことがいえるでしょう。 会社でバリバリ働くよりは、例えば家で家事をしたり、子育てをしたり。いわゆる「主夫」になりたい男性たちが、世間の目を気にすることなく、快適に生きれる世の中に変えてゆくことも、とても大切です。 「女性はこうあるべきだ」とする社会通念を失くすように、「男性はこうあるべきだ」も同じく、失くしてゆきたい。 そして、それは女性や男性のみならず、LGBTQの人たちも同じでしょう。 生物学的には女性に生まれたけれど、心が男性なので、男性として生きる人たち。生物学的には男性に生まれたけれど、心が女性なので、女性として生きる人たち。 目指すべきは、女性や男性といったアイデンティティに囚われることなく、一人ひとりが自分のありのままのアイデンティティで、何のためらいもなく、平等な権利をもって、自分らしく生きることができる社会。 それを妨げたり、サポートしなかったり、「自分は心地よいので、何も変えたくない」ではいけません。もちろん、日本やアジアだけではありません。ジェンダーギャップ指数の示す通り、世界中すべての国において、社会を変えなければならない。 女性と男性の生物学的な、先天的な違いを取り上げて、「男女同権ではなく男女分権だ」と主張したり。あるいは、「差別ではなく区別だ」と言い張ったり。さらには、女性をひとくくりに捉えたり、男性をひとくくりに捉えたり、LGBTQをひとくくりに捉えたりすることを「違いを認めている」と錯覚したり。ありがちな、いけない事例です。 本当に違いを認め合うのならば、グループ単位ではなく、一人ひとりに向き合ってこそ。「この人はこうありたい」と願っていることに、しっかりと向き合う。 そして、何よりも重要なのは、一人ひとりを大切にして、一人ひとりの幸せに向けて、皆で協力し合うことです。 男女同権・平等の真実は、その先にあるではないかと思われるのです。 続きを読む:男女同権・平等の真実(5)【日米選挙から見る】 前回を読む:男女同権・平等の真実(3)【悩む女性】 全シリーズ:男女同権・平等の真実(1)~(6) [1] [2] [3] [4] [5] [6] 同じテーマを読む:多様性/インクルーシブ 【悩む女性】
私たちの文化に深く根付いた風潮が、男性のみならず、多くの女性ですらそう思い込んでしまうほど、「女性はこうあるべきだ」とする社会通念を醸成する。 けれども、そのような社会で快適に生きる女性たちもいます。 「ちやほやされたり、荷物を持ってもらったり、おごってもらったり。正直、私は女性だから得してる。自分はガツガツ勉強したいわけでもないし、バリバリ働きたいわけでもない。男性陣とは仲が良いほうなので、自分にとっては快適だ」。 そう、「女性はこうあるべきだ」とする社会通念に、肌が合う女性たちとも言えるでしょう。 それに沿うよう「強要される」とは余り感じず、むしろ自然と思えるほど身についているので、周りから可愛がられることが多い。なので、居心地が良い。 もちろん、その女性たちからしてみても、今の社会に何の問題もない訳ではありません。けれども「ちやほやされて得するなら、私は社会で活躍しなくてもいい」という女性たちもいるのです。 そして、今度はその女性たちが、別の悩みを打ち明けます。 「自分には今の社会が快適。そんな私はダメなのでしょうか。」 特に「男女同権の足を引っ張ってる存在だ」と、そう思われている気がするような厳しい視線に、たじろいでしまうのだそうです。 そこで、この悩みに解答するのなら、「ちっともダメではありません」でしょう。むしろ、肌に合う場所を見つけられるのは幸せなこと。そこに問題はありません。 より問題として重要なのは、そうではない女性たちも快適に生きれる社会を目指し、みんなでその実現をサポートすること。 「みんなで」とは、もちろん「今の社会を快適と感じる女性たち」も含めてです。「自分は快適なので、何も変えたくない」ではいけません。 「容姿で評価されるんじゃなくて、実力で評価されたい。会社で男性と遜色のない、活躍の場がほしい。学校でもっと勉強したい。理数系だろうが、工学系だろうが、男性と同じような機会がほしい。」 こう願う女性たちにとっても、肌に合う、生きやすい社会にすることが、とても大切です。 「ちやほやされて得するなら、私は社会で活躍しなくてもいい」という女性にも。「女性が男性と同じように、活躍しやすい社会であってほしい」と願う女性にとっても。 大切なのは、どちらの人にも、そして多様な女性たちにとって、性別に関係なく、生きやすい社会をみんなで目指すこと。 「どっちか」ではなく、「どちらも」が大切です。 続きを読む:男女同権・平等の真実(4)【一人ひとりを大切に】 前回を読む:男女同権・平等の真実(2)【セコい男性】 全シリーズ:男女同権・平等の真実(1)~(6) [1] [2] [3] [4] [5] [6] 同じテーマを読む:多様性/インクルーシブ 「自分は特別な存在なんだ。」
幼少期において、子どもたちがこう思えることは、親との愛着形成や安定した成長を育む上で、とても大切です。生まれた時から自分が特別な存在であることを、子どもたちは多くの場合に両親・親族から教えられ、守られている安心感を抱きます。その過程において、自分たちの国籍・人種・民族・文化・宗教に特別な所属意識・アイデンティティを見いだし、それが自己肯定感に繋がる。 このような「特別感」は幼少期には重要で、これが損なわれると、親との愛着形成が育まれ難く、不安定な成長になりがち。けれども、とても厄介なことに、この「特別感」を大人になってもそのまま持ち続けると、かえって悪さをしかねないのです。 例えば、「自分が特別なのであれば、他の人たちは(少なくとも自分よりは)特別ではない」と、対比してしまいがち。 このような「特別感」を多くの大人たちが持ち続けていることが、世界中で差別・紛争・戦争など「自分たちさえよければ」が無くならない一つの要因になっています。また、直接的な攻撃・暴力でなくとも、ほとんどの人たちが当たり前のように親の財産を相続することも「自分たちさえよければ」の典型でしょう。[詳しくは#34] なぜなら、これらのような「自分たちさえよければ」の犠牲に巡り巡ってなるのは、本人になんら選択の余地もなく、恵まれない境遇に生まれた人たちだからです。 たまたまマイノリティに生まれたので、理不尽な除外・拒否を受ける。たまたま紛争地域に生まれたので、毎日が命の危険と隣り合わせなのは理不尽です。たまたま貧困に苦しむ家庭に生まれたので、基本的な衣食住にも困り、教育も満足に受けられず、辛酸をなめ続け、ましてや相続する財産などある筈もない。 他方では、マジョリティに生まれたり、平和な地域に生まれたり、経済的にそこそこであっても恵まれた家庭に生まれて、そうでない人たちが必要としているのをよそに、生まれながらの格差をさらに乗り越え難くするのは「自分たちさえよければ」になってしまいます。 本人になんら選択の余地のない生まれながらの特徴は、本人の努力とは一切関係のない、ただの運に過ぎません。それによって、一方で優遇され、他方では除外・拒否を受けることはあまりに理不尽です。 そのような理不尽を世代をまたいで継続させてしまう所属意識・アイデンティティからは、大人になるにつれて成長しなくてはいけません。「自分たちさえよければ」に流されないためにも、幼少期には自己肯定感を育むために必要だった「特別感」から、大人になるにつれて成長しなくてはならない。 それは、今まで持っていた国籍・人種・民族・文化・宗教のアイデンティティや、あるいは家族のアイデンティティから成長するということ。 ここで間違えないようにしたいのは、それは何も、国籍・人種・民族・文化・宗教や家族のことを考えないとか、あるいは「あるものを、ないことにする」ではないということ。 そうではなくて、「自分たちさえよければ」に囚われ続けず、自分たちのアイデンティティの外側に生きる人たちを除外・拒否しないためにも、自身のアイデンティティの枠を広げるということ。 それは「人間としてのアイデンティティ」や「生きものとしてのアイデンティティ」へ成長するともいえるでしょう。 自分が特別ならば、他の人たちや生きものたちも、みんな特別でしょう。幼少期には、それでは物足りないものの、大人になったら広くインクルーシブに自身のアイデンティティを成長させる。 「特別感」を満たしてくれる所属意識・アイデンティティは出発地点に過ぎません。目的地であってはならない。 すべての命にとってより良い世界を築くためにも、私たち大人が広くインクルーシブに成長し続けることが、とても大切です。 同じテーマを読む:多様性/インクルーシブ |
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