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【行動が前進を生む】
昨年の日米選挙は、男女同権など、人権意識を軽んじる多くの人びとの考え・意識・姿勢が透けて見える、とても残念な結果となりました。 そして、この結果は、グローバルにも波及します。 なぜなら、世界には「女性」であるという理由だけで、未来を閉ざされてしまう人たち・子どもたちがたくさんいるからです。 例えば、今このブログを読む1分の間にも、約22人の少女たちが18歳未満で結婚させられています。早婚が発端となり、家庭内で立場の弱い少女は暴力を受けたり、早すぎる妊娠・出産で身体に悪影響を受けるリスクも高まる。 また、「女の子に教育は必要ない」という浅はかな考えのもと、約1億2900万人の少女たちが学校に通えていません。そして、教育を諦めざるを得ない女性の収入は低く、貧困の連鎖が続いてしまう。 にもかかわらず、結婚した途端、ズルくてセコい夫から「誰の稼ぎで飯が食えてると思ってるんだ!」と古臭いテレビドラマのような暴言を吐かれたり、DV被害に遭う妻たちが後を絶たない。女性が教育を受け難く、収入が低くなる環境を、男性中心な社会が造っているのに。 まさに、「女性」であるという理由だけで差別をされ、そして二次・三次被害に遭い、未来を閉ざされてしまう。 そのような理不尽に苦しむ女性たちへの支援を、本当ならば「先進国」と呼ばれるアメリカや日本が先導しなければならないのです。本来「先進国」というのは、経済的に裕福なのもさることながら、発想や考え方が進んだ「優しい国」であるべきだからです。 そして「優しい国」とは「優しい人」がより多くいるところであり、その「優しい人」とは自分にとって不便であっても、また時には不快であっても、必要としている他者を受け入れて助けようとする人のこと。[詳しくは#110] けれども、昨年の選挙で当選したトランプ政権や自民党政権は、「優しい国」として男女同権を進めるどころか、理不尽に苦しむ人たちへの支援を打ち切ったり、差別を助長したり。発想や考え方が、まるで後退した言動が目立ちます。これでは「先進国」とは、とても呼べないでしょう。 女性へひどくする社会は、何もアフガニスタンのタリバンや、ナイジェリアのボコハラムなど、女性蔑視の極みのようなテロリスト集団によるものだけではないことを、忘れてはいけない。 それでも、なお、女性を引き上げようとするどころか、頭を押さえつけ、理不尽な社会通念であっても沿うよう強要し、現状維持を優先しようとすることは、責任ある大人として、とても恥ずかしいことなのです。この認識を、しっかりと持たなければいけません。 そして、百年・千年単位で人類の歴史を大きな流れとして捉えたならば、この認識が確実に広がっていることに気がつくでしょう。[詳しくは#38] もちろん、それは勝手に広がっているわけではありません。むしろ、何もしなければ何も変わらず、ただ時間は過ぎ去ってゆきます。 この認識が確実に広がっているのは、一人ひとりの行動が、前進を生んできたからこそ。 そしてこれからも。発想や考え方が進んだ、一人ひとりの「優しい人」たちが、男女同権・平等を進める行動を起こし続けることに、希望を抱かずにはいられないのです。 前回を読む:男女同権・平等の真実(5)【日米選挙から見る】 全シリーズ:男女同権・平等の真実(1)~(6) [1] [2] [3] [4] [5] [6] 同じテーマを読む:差別 【セコい男性】
「ジェンダーギャップ指数」は、男女同権・平等に達している国がたった一つもないという、ひどく理不尽な現状を映し出しています。それでも、なお、「今や女性優位な社会になってる」と言いたげな男性たちが多い。 その理由のひとつとして、「今すぐどっちか決めてくれ。都合のよい時はか弱い女性、また別の都合がよい時は男女同権。これじゃズルい!」があるようです。 けれども、男性はある意味、ジェンダーギャップという生まれながらに優位に立てる下駄をはかせてもらっているのに、さらに「今すぐどっちか決めてくれ」という要求は、女性が「ズルい」と言う前に、その男性が「セコい」と言えるでしょう。 それは、ある物事がバランスを欠いた状態にある場合、それをパリティー(平等)に持ってゆくには、振り子は振れて、行ったり来たりしながら振れ幅がだんだん小さくなり、イクイリブリアム(equilibrium)に近づくからです。 その過程において、振れ幅が思ったよりも多少大きくなることもある。セコい男性が言い張るように、仮に、一瞬、女性側に振れたとしましょう。それでも、人類の歴史ほど長きにわたり男性側にずっと振れてきた理不尽を正直に認めたならば、今までずっと我慢を強いられてきた女性側の気持ちに寄り添い、男性側は多少の我慢を受け入れるべきだと考えます。 しかも、現実は「ジェンダーギャップ指数」が示すように、まだまだ振り子は女性優位には振れていない。むしろ、男女同権・平等とは程遠い状態にあるのです。前回に紹介した太宰治や遠藤周作の生きた当時の日本はなおさらで、彼らの主張が呆れるほど論外ならば、現代の「女性の方が優位だ・ズルい」とする主張もあまりに的外れです。 男性に生まれただけで優位に立てる下駄をはかせてもらっている事実を、それが私たちの文化に深く根付いているということを、男性側はしっかりと認識する責任があります。 よくある例として、「女性はガツガツ勉強しなくていい」とか、「女性はバリバリ働かなくていい」とか、「性格がおっとりしてる女性の方が、能力が高い女性よりもモテる・結婚しやすい」など。 声にはっきりと出すまでもなく、男性のみならず、多くの女性ですらそう思い込んでしまうほど、文化の中に浸透しています。幼い頃から、両親・親戚・学校・友人・テレビ・映画・音楽・メディアなど、どこからともなく教えられてきたかのように、日常に刷り込まれている。 そのような風潮が、知らず知らずのうちに「女性はこうあるべきだ」とする社会通念を醸成します。そして、それに沿うよう、やたらと強要される。 それに沿う者は理解され、褒められ、サポートされ、可愛がられる。逆に、沿わない者は誤解され、うとまれ、見放され、出る杭は打たれる。その流れに何となくもっていこうとされることもあれば、露骨に差別されることもある。 それが、男女同権・平等というごく当たり前のことを願う女性たちを遠ざけ、フェミニズムを敵視し、女性蔑視に繋がり、男尊女卑を形づくる。こうして、知ってか知らずか、男性は生まれながらに優位に立てる下駄をはかせてもらうのです。 「俺は下駄をはかせてくれとは頼んでない!」と言い張る男性たちもいるのかも知れません。 けれども、頼んでようが頼んでいまいが、現実として世界規模で、そうなってしまっている世の中です。それを是正する行動を自らがとらなければ、優位に立てる下駄のメリットを享受しながらも「女性の方が優位だ・ズルい」と言い張ったり、見て見ぬふりをすることになってしまいます。その方が、よっぽどズルいでしょう。 それでも、なお、女性を引き上げようとするどころか、頭を押さえつけ、理不尽な社会通念であっても沿うよう強要し、現状維持を優先しようとすることは、責任ある大人として、とても恥ずかしいことなのです。 続きを読む:男女同権・平等の真実(3)【悩む女性】 前回を読む:男女同権・平等の真実(1)【ジェンダーギャップ】 全シリーズ:男女同権・平等の真実(1)~(6) [1] [2] [3] [4] [5] [6] 同じテーマを読む:差別 【ジェンダーギャップ】
「若い女性たちがチヤホヤされ、レディース割引で得して、女性専用車両でくつろぎ、男性に重い荷物を持たせ、ディナーはおごってもらう。そのうえ男女同権を主張するのは、いくら何でも都合が良すぎるよ!」 このような不満の声が、とりわけ日本やアジアの男性たちから漏れ伝わってきます。 特に驚くのは「男女同権が行き過ぎて、今や女性優位な社会になってる」とさえ言いたげな男性たちの多いこと。 しかも、これはごく最近の風潮だけではないようです。 もうすぐ100年前にもなろうかという戦時中の日本で、小説家として活躍した太宰治は、時に憎々しげに、この手の不満をボヤいてました。また、太宰よりも一世代あとに人気を博した遠藤周作も、多少トーンダウンしたとはいえ、それでもボヤいてました。今でも広く知られる作家たちなので、それほど当時の読者たちは魅了され、今なお人びとの共感を呼ぶのでしょう。 けれども、現実の社会はまったくそうではありませんでした。 例えば、当時は旧民法により、家族の一員は結婚・居住地など自分自身の人生の重要な選択を自由に決める権利がなく、戸主(現在でいう世帯主)の同意が必須要件でした。戸主とは、その家を代表する男性であることがほとんどで、父親か、もしくはそのあとを継いだ長男でした。そのような法律が、戦後の1947年まで用いられていたことからも、男女同権・平等には程遠かったのです。 また、当時は夫が妻を叩いたり、頭を小突いたりすることも日常茶飯事だったようです。それを「教育」と称したり、「愛情」と呼んだりしていた始末。実際に、戦後まもなくから人気が続く漫画サザエさんや、お茶の間で流れるテレビドラマなどでも、1970年代あたりまではよく見るほど、当たり前の光景でした。 そして、現在です。 法律は目覚ましく改善され、夫による妻への暴力はDV(ドメスティック・バイオレンス)だと正しく認識されるようになったのは、確かな前進です。けれども「男女同権が行き過ぎて、今や女性優位な社会になってる」とは、到底言えません。 それは、客観的に見たならば、現実はまったくそうではないからです。 例えば、世界経済フォーラムによる「ジェンダーギャップ指数」。世界の約150ヵ国を対象に、賃金・重役ポスト・就業率・就学率・政治の議員数・閣僚ポストなど、男女間の格差について経済・教育・政治・健康の指標を多面的に20年近くも研究しています。 その2024年版において日本は118位で、先進国と呼ぶには余りにお粗末な結果。フィリピン(25)・シンガポール(48)・タイ(65)・ベトナム(72)・韓国(94)・中国(106)など殆どのアジア各国より、かなり遅れをとっているのが現実です。 そして驚愕するのは、世界1位の国ですら、ジェンダーパリティー(男女平等)を達成していないという事実。 それは、世界中を見渡しても、男女同権・平等に達している国がたった一つもないという、ひどく理不尽な現状を映し出しています。 「男女同権が行き過ぎて、女性優位な社会になってる」なんて、本当にとんでもない! 次回は、この考察をさらに深めたいと思います。 続きを読む:男女同権・平等の真実(2)【セコい男性】 全シリーズ:男女同権・平等の真実(1)~(6) [1] [2] [3] [4] [5] [6] 同じテーマを読む:差別 【日本は差別が少ない?】
過去はもちろん、今もなお「アメリカは白人支配の社会だ」と、しばしば批判を受けます。アメリカで生活をする人なら、そう感じる瞬間に出くわしたことが、あるのではないでしょうか。 それでも、アメリカの人口における白人の比率は約59%。一方で、日本における日本人の比率は98%。日本が、日本人支配の社会であることは、明らかです。 この事実を、「多様性を歓迎する」、「あらゆる人たちを受け入れる」、金子みすゞさんの「みんなちがって みんないい」など、誇らしい観点から、実際のデータを交えて考えてみる。 移民の受け入れ: 米国 51百万人 日本 3百万人未満 難民の受け入れ: 米国 340千人 日本 1千人 ロシアの侵略戦争による、ウクライナ難民の受け入れ(2023年2月時点): 米国 270千人 日本 2千人 アメリカは、当初の意向表明であるウクライナ難民10万人、この3倍に迫る勢い。一方で、日本は過去にない政府の寛大な対応に、国内における評価は高いものの、世界的な視野を持って捉えたならば、もの足りないと言わざるを得ない。 日本の至る所で、海外からの技能実習生が増え、街中で外国出身の人たちが働いていたり、生活をしている光景をよく見かけるようになりました。けれども、彼・彼女らは3年~5年のうちに本国に帰る義務があり、日本に住み続けることは、ほぼ許されていません。 このように、あらゆる人たちの受け入れに消極的であり、閉鎖的な社会であることが伺える日本。「社会の一員として、先ずは迎え入れる」を拒否しがちなのは、いうなれば「門前払い」を意味します。 そして、生まれながらにして選ぶことができない特徴によって、門前払いをされる、理不尽な除外や拒否を受けるということは、紛れもない差別なのです。「日本には差別が少ない」どころか、「差別により、日本に定住することすらできない」のが現実です。 また、数少なくも定住できている外国出身の人たちが、差別についてあまり声を上げない。それは、「日本には差別が少ない」からではなく、98%の支配力を誇るマジョリティに対して、2%のマイノリティが声を上げづらいから。 数の力でねじ伏せられる屈辱を、マイノリティが日々感じていることを、その圧倒的なまでのマジョリティがゆえに、多くの場合、気が付きすらしないのが、日本の現状でしょう。 「寝た子を起こさない」と言っては「語らない方が良い」、「触れない方が無難だ」と、「差別」から目を背けようとするのは、マジョリティの一方的な理論なのです。 続きを読む:寝た子を起こす(5)【自分の中にいる子】 前回を読む:寝た子を起こす(3)【学びは余計なこと?】 全シリーズ:寝た子を起こす(1)~(5) [1] [2] [3] [4] [5] 同じテーマを読む:差別 【学びは余計なこと?】
「寝た子を起こさない」という同じ言葉でも、 「やっと寝ついてくれた子を、わざわざ起こさないで」という切実な想いと、 「せっかく治まっているものを、余計なことをして、問題を蒸し返さない方が無難だ」と、 異なる意味合いで、用いられることがある。 そして、「なぜ差別がいけないのか」について話し合うことを「余計なこと」と捉える人たちが、少なからずいます。 アメリカにおいても、一部の州によっては、そのような傾向がみられます。 例えば、黒人系米国人の背景において、過去の奴隷制度や、現在でもはびこる人種差別などによる屈辱は、その歴史を語るうえでは切っても切り離せません。 けれども、テネシー州やアイダホ州など、白人特権にしがみつく人々がマジョリティ(多数派)を占める州を中心として、多くの白人系米国人が不快と感じるような歴史的事実は、法律により、学校で教えることを禁じている。 現在のアメリカは、人口の約59%が白人、19%がヒスパニック、14%が黒人、その他が8%です。一方で、上述したテネシー州は約73%が、アイダホ州に至っては81%が、白人です。 過去に比べてより多角化はしたものの、依然として白人がマジョリティを占めており、その割合が高いほど、白人特権にしがみつく傾向がみられ、排他意識が目立ちます。 そして、過去とは比べられないほど、差別に対する社会的意識が整ってきてはいるものの、これまた依然として、マジョリティの数の力でねじ伏せられる屈辱を、マイノリティ(少数派)は避けては通れません。 現在の日本において、今もなお「日本には差別が少ない」と平気で言い張り、「なぜ差別がいけないのか」について話し合うことを「余計なこと」と捉える人たちが、少なからずいます。 「人種差別」のみを捉えた場合、アメリカよりは、少ないのかも知れません。 けれども、それは「多様性を歓迎する」とか、「あらゆる人たちを受け入れる」とか、金子みすゞさんの「みんなちがって みんないい」など、誇らしい理由からそうなっているとは、残念ながら言えません。 むしろ、ほぼその逆で、人口の約98%が日本人により構成されている「とても閉鎖的な社会」だからと、言わざるを得ない。 次回は、ここの考察をより深めたいと思います。 続きを読む:寝た子を起こす(4)【日本は差別が少ない?】 前回を読む:寝た子を起こす(2)【結果オーライはモロい】 全シリーズ:寝た子を起こす(1)~(5) [1] [2] [3] [4] [5] 同じテーマを読む:差別 【結果オーライはモロい】
「何も知らない子どもたちに、差別の心を持たない純粋な子どもに、かえって差別を教えるようなもの。」 この理論には、大いに反論の余地があります。先ず、「何も知らなければ、差別はしない」という前提でなければ、この理論は成り立ちません。 もちろん、何も知らなかったし、差別も起こらなかったケースはあるでしょう。偶然に、そうなることはある。 けれども、それでは「結果オーライ」になってしまいます。「結果が良かったので、いいじゃないか」と思いたい気持ちはやまやまですが、そこには、「なぜ良い結果になったのか、その理由が分かっていない」モロさがついて回ります。 そうすると、次回、また同じ状況になった場合。また「良い結果」を導き出せるのか、どうか、分かりません。良い結果になることを、偶然に任せてしまうモロさともいえるでしょう。 「差別」という、とても大きな問題を捉えたならば。そして何よりも、差別により苦しめられている人たちの気持ちに寄り添ったならば、差別をなくすことを、偶然に任せる訳にはいきません。 なぜ差別がいけないのか。その本質的な理由は、本人になんら選択の余地のない生まれながらの特徴によって、理不尽な除外や拒否を受け、傷つけられるから。 病気・障害・人種・民族・出身・家庭環境・性別・性的指向などは、生まれながらにして選ぶことができない。 生まれつき体が不自由だった。マイノリティとして、この世に生まれた。 貧困に苦しむ家庭に、たまたま生まれてしまった。虐待を繰り返す両親の元で、たまたま育ってしまった。 生まれて間もなく孤児になった。生まれながらにして、体の性と心の性が一致しない。など。 それらをもってして「迷惑だ」と捉えられたり、偏見を抱かれて、差別を受ける。それは、例えどのような理屈をこねようとも「仕方のないこと」ではなく、あってはならないのです。 そのような差別をなくすことは、私たち一人ひとりの責任です。 「寝た子を起こさない」と言っては「語らない方が良い」、「触れない方が無難だ」と。ややもすれば目を背けようとしては、差別をなくすことを偶然に任せてしまっては、その責任を果たしているとはいえません。 「何も知らなければ、差別はしない」という前提は、余りにもモロい。「何も知らない」ということは、「無知」ということでもあるからです。 むしろ、「何も知らなければ、差別は繰り返されてしまう」という危険性を認識し、子どもたちと「なぜ差別がいけないのか」をテーマに話し合うこと。 それが、私たち一人ひとりの責任なのです。 続きを読む:寝た子を起こす(3)【学びは余計なこと?】 前回を読む:寝た子を起こす(1)【差別を教えるようなもの?】 全シリーズ:寝た子を起こす(1)~(5) [1] [2] [3] [4] [5] 同じテーマを読む:差別 【差別を教えるようなもの?】
寝た子を起こさない。 小さな赤ちゃんと一緒に暮らす人なら、この言葉を、身に染みて感じたことがあるのではないでしょうか。 数時間寝ては目が覚めて、遊んだり泣いたり、そしてまた寝る。そう、赤ちゃんは、とても忙しいのです。 そこで厳しくなるのが、親・兄弟など一緒に暮らす人たちの、生活リズムを保つこと。大人から子どもまで、仕事・勉強・他者との関わりなどにおいて。時間を守ることが必要な世の中なので、より一層大変でしょう。 けれども、赤ちゃんからしてみたら、それどころではありません。一生懸命に生きて育つことが、お仕事だから。何とも仕方がないので、周りの人たちは、つい寝不足になりがち。 ということもあり「やっと寝ついてくれた子を、わざわざ起こさないで」という切実な想いを込めて、この言葉は使われるのです。 ところが、この「寝た子を起こさない」。時折やや違った場面で、聞くことがありませんか。 例えば「せっかく治まっているものを、余計なことをして、問題を蒸し返さない方が無難だ」と、そのような意味合いにおいて用いられるとき。小さなことから、大きなことまで。様々な場面において、このように使われることがあります。 そして、いつの時代にも、世界中にある「差別」というとても大きな問題についても。時折、「寝た子を起こさない」と言っては「語らない方が良い」、「触れない方が無難だ」と、ややもすれば目を背けようとする。 特に、「なぜ差別がいけないのか」をテーマにした本や動画などを、子どもたちと見ながら話し合うことまで、避けようとする。 その理由を聞いてみると「何も知らない子どもたちに、差別の心を持たない純粋な子どもに、かえって差別を教えるようなものだから」と。 また、「戦争」というとても大きな問題についても、同じように「寝た子を起こさない」と言っては、ややもすれば目を背けようとする。 次回は、これらについての考察を深めたいと思います。 続きを読む:寝た子を起こす(2)【結果オーライはモロい】 全シリーズ:寝た子を起こす(1)~(5) [1] [2] [3] [4] [5] 同じテーマを読む:差別 【逆転の恐怖】
「下手をすれば、いずれマジョリティとマイノリティが逆転してしまうかも知れない。」その恐怖心から、マジョリティは必死に特権を守ろうとするのかも知れません。 けれども、よく考えてみてもらいたいのです。 例えば、「移民の国」として建国されたアメリカは、250年ほど遡っただけで、そこに住むほぼすべての人が移民なのです。それなのに、自分さえ「中」に入ってしまえば、これから入ろうとする人たちのためにドアを開けて待つどころか、急いでドアを叩き閉める。これでは、余りにも自己中心的にならないでしょうか。 そもそも、ある場所に「先に住みついた人たち」が特権を有することが、本当の意味において「正しい」のでしょうか。そして、「後から来た人たち」や「これから来る人たち」は、虐げられて「当然」なのでしょうか。 広い視野をもって考えてみると、私たち人類の歴史は約500万年。その悠久の時の流れを捉えたならば、アメリカのみならず、ほぼすべての国のすべての人たちが、元を辿れば、現在はアフリカ大陸として知られる土地からの移民です。 そう考えてみたならば、「後から来た人たち」や「これから来る人たち」が虐げられることが「当然だ」とは、とても言えないのではないでしょうか。そして、マジョリティが特権を有し、マイノリティが虐げられることが、世界の平和のためになるとは、歴史を辿ってみても、とても思えません。それは、「自分らしい生き方をしたい」と多くの人が望むからです。そして、誰も差別をされたくはないからです。 本当は、いつの時代もマジョリティが、マイノリティに差別なく接していれば、「逆転の恐怖」は芽生えないでしょう。現在の世の中では「マジョリティ優遇」が当然とされ、そして多くの場合、知ってか知らずか、マイノリティを差別してしまっているからこそ、「逆転の恐怖」を抱いてしまうのではないでしょうか。 それは、自分自身がマイノリティになると、「そんなひどい目」にあうのは嫌だからでしょうか。けれども、その「そんなひどい目」を、現在のマイノリティに押し付けてしまっているのは、自分も含むマジョリティなのです。 「確かに自分はマジョリティの一員だけど、それはたまたま生まれながらにそうなだけで、自分自身はマイノリティを差別していない」という人も多いでしょう。 そうであるのならば、「マジョリティ優遇」を受け入れたままにせず、差別を防ぎ、なくす努力をすることこそが、とても大切ではないでしょうか。それは、消極的な受け身であっても、差別を助長するような社会構造を受け入れ続けることそのものが、それを持続する負の力になってしまうからです。そして、たとえ個々の負の力は小さく感じたとしても、その積み重ねが、世界中で差別を持続する、とても大きな要因になっているからです。 それは、1960年代のアメリカにおいて、すべての差別主義を撤廃するべく、「平等」の履行を政府と社会に求め続けたマーティン・ルーサー・キングも、語っています。 「黒人の自由を妨げる最大の障害は、白人至上主義やKKKではないかも知れない。それは、正義よりも秩序を優先させる、穏健派と呼ばれる白人たちかも知れない。そして、最も悲しいことは、残忍な暴力を振るう『悪い人たち』がいることではなく、沈黙を守り続ける『良い人たち』がいることかも知れない。」 そう、「マジョリティ優遇」を受け入れたまま、沈黙を守り続ける「良い人」にならないためにも。「マジョリティもマイノリティも、どちらでも良い」となるには、マジョリティが構造的に優遇される社会を、変えること。その特権意識をなくすべく、積極的に行動すること。それは、すべての人たちにとって、フェアな社会を築くということ。 一人ひとりのより良い明日に向けて、多様な背景の人たちを迎え入れ、違いを受け入れ、互いに相手を大切にし、そして助け合うことが、私たち一人ひとりの責任なのではないでしょうか。平和を求め、全ての人たちの人権を大切にし、多様性を認めることこそ、人類の「歴史的使命」ではないでしょうか。 そう考えてみたならば、大切なことは、どこの国・どの地域・どの人種・どの性別・どの性的指向・どのような健康状態の人であろうが、一人ひとりを個人として認め、そして、その人にしっかりと向き合うことではないでしょうか。そうすることで差別を防ぎ、そして、なくすことができるのではないでしょうか。 前回を読む:差別をなくす(11)【特権意識】 全シリーズ:差別をなくす(1)~(12) [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] 同じテーマを読む:差別 【特権意識】
表面上は正当な響きのある言葉を用いて、根底では不当な現状を変えない。それは、一部の人たちに対して不当な扱いをしておきながら、それらを圧力で抑え込んでまで、見栄えだけは整った秩序を優先すること。そして、そのような「常識」をマジョリティが決め、マイノリティはそれに従うしかないと、知らず知らずのうちに身に沁みついてしまっている。 それが、遠い昔の時代から現在の世界に至るまで、マジョリティが構造的に優遇される社会が当然という、特権意識ではないでしょうか。 そして、その延長線上には、「下手をすれば、いずれマジョリティとマイノリティが逆転してしまうかも知れない」とする、現在のマジョリティが抱える恐怖心すら見え隠れします。その恐怖心から、あの手この手を使って、特権を必死に守ろうとするのかも知れません。 日本においては、人口の約98%が日本人とあって、その延長線上は遥か先のことに映りますが、それでも特権意識は古くから根付いています。一方のアメリカにおいては、その延長線上はいよいよ現実味を帯びています。人種差別が特に卑劣だった1960年代のアメリカは、人口の約85%が白人で構成される国でしたが、現在の同比率は約63%。そして、後もうひと世代ほどで白人もマイノリティに加わり、米国全体で捉えると、すべての人種がマイノリティになると予想されています。 現在、米国全50州のうち、唯一そうであるのがハワイ州。気候の快適さや自然の美しさもさることながら、アメリカの中で最も多様性を歓迎し、そして、差別が少ない州としても知られる理由でしょう。 そのような中、暗い過去の残骸である古くおぞましい白人至上主義を、助長するトランプ政権。移民・難民の排他や、マイノリティ有権者の抑圧など、まるで時代錯誤のような政策を、次々に導入しています。人道支援・人権擁護を重んじる、多くのアメリカ国民や州政府が必死に抵抗し、食い止めようとしているものの、それでもトランプ政権は、これら差別的な政策を支持する国民や州政府と共に、強引に推し進めています。 例えば、世界で最も殺人発生率が高い国々である、中米のエルサルバドルやホンジュラス。それらの国にたまたま生まれ育った人たちが、安全な暮らしを求めて、何も持たずに着の身着のまま、今までの生活すべてを置き去りにして、食料も水も充分にないまま数千キロもひたすら足で歩き続ける。そのように命からがら、生きる希望を求めてアメリカに辿り着いた、難民の人たち。しかし、その人たちを助けるどころか、その赤ちゃんや小さな子どもたちを、親族や保護者から引き離し、牢屋のような檻に閉じ込める。 あるいは、一部のマイノリティや貧困に苦しむ人たちが、選挙で投票しずらいように、いじめのような悪質な嫌がらせをする。それら有権者が多く住む区域に限り、投票所の数を減らして、数百キロも離れた場所を最寄りの投票所にしたり。さらには、それら区域に限り、投票機を少なく設置したり、壊れやすい古い投票機を配置して、待ち時間を延ばす。 特に、貧困に苦しむ多くの人たちは自家用車を持っておらず、それら区域には公共の交通手段も殆どなく、車を持っている知り合いにわざわざ事前に頼んで、投票所までの往復をお願いするしかない。それとは別に、事前の有権者登録や身分証明書も、各州政府がそれぞれ定めたものが必要。それらがすべて運良く手配できたとしても、投票所まで3時間程かかり、そこから投票までさらに8時間も外で並ばせる区域も、選挙の度に耳にするほどです。 アメリカでは投票日を火曜日と定めており、国の祝日にはしていません。生活の苦しい人たちは仕事を無給で休んで、往復や待ち時間込みで最長14時間程もかけて投票するしか、自分の声を政治に反映する術がないのです。とても、自称「世界一の民主主義国家」の政権がすることではありません。 しかし、どこの国や地域であっても、これらのような差別的な政策を「私たちは差別をしています」と表立って宣伝しながら、推し進める訳ではありません。差別をする人たちにとっても「差別」とは、とても恥ずかしく、醜いことだと承知しているのでしょう。そうであるからこそ、表面上は「法律を守る」とか「国民の安全第一」といった正当な響きのある言葉を用いて、根底ではマジョリティの特権を死守しようとするのかも知れません。 アメリカにおいて、差別的な政策を強引に推し進めるトランプ政権。その直近2年間の支持率は概ね40%、不支持率は概ね50%前後で推移しており、最も特権を有している「白人男性」に限ると、約60%が支持。さらには、自分自身のアイデンティティーを「白人であると強く認識する」と答えたアメリカ人のうち、約80%がトランプ支持。一方で、自分自身のアイデンティティーにおいて「人種は特に重要ではない」と答えた白人系アメリカ人に限ると、約5%以下がトランプ支持。 ここから浮かびあがるのは、多くの場合、自分たちのマジョリティ特権を死守すべく、マイノリティを排他しようとする意識ではないでしょうか。そして、そこからは、特権を失う恐怖心が透けて見えるのはないでしょうか。 続きを読む:差別をなくす(12)【逆転の恐怖】 前回を読む:差別をなくす(10)【逆差別】 全シリーズ:差別をなくす(1)~(12) [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] 同じテーマを読む:差別 【逆差別】
差別問題について会話をしていると、よく耳にする言葉があります。 「逆差別」とは、マイノリティの人たちを優遇し過ぎるがあまり、逆に、マジョリティの人たちが差別をされるということ。 それは、多数派と少数派はそのままの状態で、「差別をする側の人」と「差別をされる側の人」が入れ替わるだけということ。「差別」であろうが、「逆差別」であろうが、入れ替わっただけでは、生まれながらの特徴によって、理不尽な除外や拒否を受け、傷つけられる人たちは存在したままになってしまう。そうであるからこそ、どちらも問題の解決にはならず、あってはならないのです。 一方で、この「逆差別」という言葉は、「入れ替わっただけでは解決にはならない」とする理由ではなく、本当のところは異なる理由で、使われるケースが目立つのではないでしょうか。 それは、遠い昔の時代から現在の世界に至るまで、多くの場合、マジョリティが構造的に優遇される社会になってしまっている。それを少しづつでも改善して、すべての人たちにとってよりフェアな社会を目指すどころか、むしろ、今後もその「マジョリティ優遇」を死守するために「逆差別だ!」という掛け声のもと、主張されているように思われるのです。これでは、意識的かどうかは別にして、表面上は正当な響きのある言葉を用いて、根底では不当な現状を変えないことになってしまいます。 例えば、社会・経済など多くの面において、男性が構造的に優遇されているのは、疑う余地のない事実でしょう。歴史や文化を背景に、これまでの慣行や固定的な性別の役割分担意識などが、私たちの社会構造に深く根付いてしまっている。そして、たとえ女性の能力が優れている場合であっても、女性は男性よりもその能力を発揮し難い境遇にあることが多い。 これは統計においても、はっきりと表れています。例えば、米国労働省によると、アメリカにおける女性の平均給与は、男性平均値の82%にしかならない。経済協力開発機構(OECD)によると、日本における女性の平均給与は、男性平均値の75%にしかならない。仮に、日本の男性に500万円の給料を支払う場合、日本の女性には375万円しか支払われないのです。 何もアメリカと日本だけではありません。OECDによると、調査対象41カ国すべてにおいて、例外なく、女性の平均給与は、男性の平均給与より低いのです。 これらの数値が伝えているのは、世界中の女性が、生まれながらの特徴によって、理不尽な除外や拒否を受け、傷つけられているという事実です。このような差別を防ぎ、そして、なくすためには、女性の給与・昇進を、類似する仕事で似たような成果を収めている男性と平等にすること。 これは、女性社員と男性社員の「入れ替え」でもなければ「逆差別」でもない。とてもシンプルに、誰であろうが、類似する仕事・成果に対して、平等な報酬にするということ。 しかし、これを「逆差別だ!」という人もいるようです。会社の財源には限りがあるので、ある女性社員の給料を上げると、結果として別の社員の給料を下げることになり、その社員が男性であった場合「逆差別だ!」というのです。例え、その女性社員の給料が、その男性社員の給料より25%も低かったとしても。また、それが昇進の場合であっても、会社の役職数には限りがあるので、同じようなことで「逆差別だ!」というのです。 そして、このような「逆差別だ!」という主張が、「性別」や「人種」などを焦点として、有名大学や就職などの合否においても、あちらこちらで聞かれます。 けれども、ここで、よく考えてみてもらいたい。 そもそも、今この世の中に存在する差別を解消するために、似たような成果に対して平等な報酬にすること自体が「逆差別だ!」とするのならば、似たような成果に対して不平等を保つことしかできなくなります。 これでは、もはや「マジョリティ優遇」をそのまま保つしかなく、そもそも、今この世の中に存在する「生まれながらの特徴によって、理不尽な除外や拒否を受け、傷つけられている人たち」を、そのままにし続けるしかないことになってしまう。 差別に苦しんでいる人たちに寄り添い、差別をなくし、そして、世界の平和を築きたい。そう願うのならば、私たち一人ひとりが、この不当な現状を変える一員でありたい。 続きを読む:差別をなくす(11)【特権意識】 前回を読む:差別をなくす(9)【地区限定であっても】 全シリーズ:差別をなくす(1)~(12) [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] 同じテーマを読む:差別 |
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