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#36: 相続をしない理由(第7回)

10/28/2018

 
【可愛いからこそ】
「自分は恵まれているのかも知れないが、決して裕福とはいえない。」このように感じている人は、結構多いのではないでしょうか。
 
そこで「恵まれた境遇にある私たち」とは、具体的に誰のことなのでしょう。
 
私たちのこの世界を、広い視野で捉えたのなら、所有財産が33万円以上(約3000ドル)であれば、世界中で生きている人の半数より、あなたは恵まれています。所有財産が760万円以上(約6万8000ドル)であれば、あなたは世界トップ10%の富裕層です。
 
「自分は富裕層というほどではない。少しばかりの財産をもっている、庶民だ。」
 
その財産が莫大であっても、あるいは少しだと感じていても、広い視野を持つことができれば、豊かとされる国々に住む人たちの多くは恵まれているのです。そして、個々がどれ程ささやかだと感じたとしても、私たちの相続の積み重ねが、この世界における「絶望」を、世代をまたいで持続する、とても大きな要因になっています。
 
私たちが、世代をまたいだ相続をやめれば「機会の格差」はほぼなくなり、「格差社会」もほぼ解消され、世界は史上類を見ないほど安定するでしょう。それは、私たち一人ひとりにできることなのです。
 
「絶望」の根底に存在する、生まれながらにして乗り越え難いほどの「機会の格差」を是正すること。そのためには、富の再配分がとても重要です。再配分により、恵まれない境遇で育った子にも、同じ質の教育が与えられる。そうすることにより、例えどこに生まれたとしても、仕事・収入・生活・保有資産を獲得する機会に恵まれる。
 
「機会の格差」が是正されると、「格差社会」が固定化しなくなる。そうすると「自分も努力すれば報われる」という「希望」が持てる。そして、世界中で「希望」が増えるということは、世界中にある「絶望」が減るということ。「絶望」が減ると、社会は安定します。
 
この世から去った後ですら、恵まれない境遇にある人たちに向き合わず、自分の子さえ良ければいいという「自己中心的な愛情」に固執することが、私たちにとって本当に大切なのでしょうか。一生を終えてもなお残った財産は、相続ではなく、恵まれない境遇の人たちに還元することが、大切なのではないでしょうか。
 
自らのモラルを高めて、自主的に還元したい先を選び、恵まれない境遇の人たちへ寄付をすることが、富の再配分として最も効果的ではないでしょうか。行ったこともない、知り合いもいない、遠く離れた国々に住む人たちへでも、信頼のおける団体を通して寄付ができる。今は、そういう素晴らしい時代です。
 
相続税も再配分の方法としてありますが、政府による税金の無駄遣いや、相続のためにあの手この手を駆使する富裕層がいることを考えると、モラルという中身は空洞のまま外堀だけを埋めても、それはモロくて崩れやすい。一方で、中身を伴う自発的な寄付は、長期的な視点においても、揺るぎない軸があります。
 
「相続をしないだなんて、自分の子が可愛くないのですか。」このような疑問を抱く人もいるようです。
 
自分の子は、可愛い。とても、とても可愛い。本当に大切で、心から愛している。
 
だからこそ、「親による子の支配・自律や自立の妨げ・兄弟姉妹間の争い・財産目当て」に陥らない、芯の強い大人に育つよう接したい。
だからこそ、自分の子さえよければ、世界中の「絶望」に目をつぶってしまう、自己中心的な人間にならないよう接したい。
だからこそ、テロの危険にさらされず、またそのためにも、戦争という名の人殺しを許容しない、勇気ある人間に育つよう接したい。
だからこそ、世界中の「絶望」を少しづつでも「希望」に代えてゆきたいと願う、広い心が育つよう接したい。
だからこそ、自分の力で生きる充実感や喜びを身に付けられる、前向きな大人に育つよう接したい。
​だからこそ、自分自身を大切にし、そして世界中の人たちも大切にできる、優しい大人に育つよう接したい。
 
自分の子が可愛いからこそ、相続はしないのです。自分の子を愛しているからこそ、この世における人生を締めくくる時には、この世界から頂いたものを、この世界に返すのです。
 
それが、今ここに生きる私たちにできることではないでしょうか。

前回を読む:相続をしない理由(6)【私たちにできること】

全シリーズ:相続をしない理由(1)~(7)
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#35: 相続をしない理由(第6回)

10/8/2018

 
【私たちにできること】
恵まれない境遇で育った子たちには、期待できる親の財産などありません。それどころか、借金を残されるおそれすらあります。
 
直接的に親の借金を肩代わりさせられることもあれば、法的義務はないまでも、親の借金は返済しなければならないとする道義的心理が、子に重くのしかかることもあります。また、間接的に借金を残されることもあります。例えば、アメリカで大きな社会問題になりつつあるのが、教育を受けるための借金、いわゆる学生ローンです。
 
2018年6月時点の米国において、学生ローンの総残高は1.5兆ドル(約168兆円)にも上り、ここ十年間で倍増しています。現在4,400万人がこの借金を抱えており、一人当たり約380万円にもなります。また、このうち10%以上は返済ができない状態になっている。
 
これは、多くの親が子の大学費用を支払えないため、学生自身が借金をして教育を受けるケースが急増していること。しかし、就学中のバイトや卒業後に就職して受け取る給料では、その借金の返済が苦しくなってきていることを意味しています。
 
恵まれた境遇で育った子たちであれば、生ずることのない借金。それどころか、生まれながらにして多くの機会を与えられ、すべての費用を支払ってもらったうえに、財産をも相続する。一方で、恵まれない境遇で育った子たちは、生まれながらにして機会を与えられず、たとえ大学に進学できたとしても、卒業時には多額の借金を抱え、相続もない。
 
世界において豊かとされる国々でもそうですから、教育はおろか衣食住までもが不足している国々からしてみると、「格差社会」は生死を賭けた戦争やテロにまで発展する程です。
 
生まれた時から、きれいな飲み水もなければ、衛生的なトイレもない。泥とフンを固めて建てた薄暗い小屋で、家族と家畜がところ狭しと生活をする。家で日々使う水を汲みに、その小さな両手に大きなポリタンクを抱えながら、片道数時間かかる道のりを、1日2往復することが日課になっている6歳児。それが理由で、小学校へ通うこともできない。
 
そのような小さな子どもたちが、私たちの生きるこの同じ世界で、現実として共に生きています。
 
その子たちの瞳には、遠く離れたアメリカや日本の恵まれた境遇で育っている同世代の子たちに、追いつき追い越すことなど、気が遠くなるほど不可能に映るでしょう。貧困にあえぎ、教育も受けられず、毎日水汲みに明け暮れ、一体どうやって追いつくことができるのでしょう。あなたがその子だったのなら、どうでしょうか。
 
そのような恵まれない境遇にある人たちの多くは、年を重ねるごとに「絶望」に陥ってしまう傾向があります。それは、いくら努力しても固定化された貧困の連鎖を、抜け出す道が見い出せない絶望。教育を受けたり、良い仕事に就く術がない絶望。多くの若者たちは、そのような絶望のぬかるみに飲み込まれ、タリバン・アイシス(ISIS)・ボコハラムなど、テロリスト集団に参加してしまう。「絶望」から「不安定な社会」は醸成されているのです。
 
恵まれた境遇にある私たちは、この現実を対岸の火事のごとく、見て見ぬふりをしてはならない。世界はひとつ、みんな繋がっています。個々がどれ程ささやかであっても、私たちの相続の積み重ねが、この世界における「絶望」を、世代をまたいで持続する、とても大きな要因になっているのです。
 
そしてテロは、ニューヨークやパリなど、豊かとされる国々の大都市にも迫っています。それを戦争で解決しようとすることは、人殺しを人殺しにより解決しようとする、とても浅はかな考えではないでしょうか。人殺しによって、根本的な解決はできません。それは、さらなる憎しみを生み続け、煮えたぎる憎悪を世代をまたいで受け継ぐことになるだけでしょう。
 
むしろ、「絶望」の根底に存在する、生まれながらにして乗り越え難いほどの「機会の格差」を是正することこそが、今の現実を変えるために、私たちにできることではないでしょうか。
 
はっきりと目をそらさずに、意識してもらいたい。相続という「自己中心的な愛情」は、遠く離れた人たちの命や幸せをこれからも奪い続けることであり、愛する身近な人たちの命や幸せすら危うくしているということを。

続きを読む:相続をしない理由(7)【可愛いからこそ】
前回を読む:相続をしない理由(5)【不安定な世界】

全シリーズ:相続をしない理由(1)~(7)
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#34: 相続をしない理由(第5回)

9/18/2018

 
【不安定な世界】
戦争を起こし、多くの人びとの命が失われ、幸せな生活が破壊されているシリアやイエメンやスーダン。多くの若者たちがタリバンやアイシス(ISIS)などに参加し、テロリストになっているアフガニスタンやイラク。ボコハラムによって、少女たちが誘拐されているナイジェリア。これらすべてにおいて、根底で共通しているのは「不安定な社会」でしょう。
 
日本やアメリカにおいても、戦前のようなナショナリズムが台頭し、安倍政権やトランプ政権が誕生。ヨーロッパにおいても、極右政党が次々に躍進。それらの背景にも「不安定な社会」があるのではないでしょうか。
 
その不安定な社会を、世界中にもたらす大きな原因となっているのが、「格差社会」の広がり。それは、恵まれた境遇の人と恵まれない境遇の人との間に生ずる、生活水準の格差であり、収入や保有資産の格差です。そして、この問題をより深刻化させているのが、教育や雇用など「機会の格差」です。生まれながらにして、乗り越え難いほどの「機会の格差」が存在していることです。
 
どうして、そのような「機会の格差」があるのでしょう。
 
努力を怠ったが為に、恵まれない境遇に陥った人も中にはいるでしょう。しかし大多数の人たちは、貧しい国や紛争地域で、たまたま生まれてしまった。貧困に苦しむ家庭に、たまたま生まれてしまった。虐待を繰り返す両親の元で、たまたま育ってしまった。生まれて間もなく孤児になった。厳しい差別・弾圧・迫害にさらされるマイノリティとして、たまたま生まれてしまった。生まれつき体が不自由だった、など。
 
本人になんら選択の余地のない状況から、恵まれない境遇に陥ったのです。人生の出だしから、恵まれた境遇の人たちと同じスタートラインに立っていなかったのです。これでは当然「機会の格差」が生まれてしまいます。
 
そして、恵まれない境遇に陥った人たちは、育つ過程においても、恵まれた境遇の人たちと同じグラウンドにも立たせてもらえなかったのです。
 
例えば、裕福な家庭では、自分の子供にかけられるお金があるため、衣食住に困ることがないのはもちろんのこと。家族と楽しい旅行に出かけて、一生大切にする思い出を作ること。大きな世界を肌で体感して、見識を広げること。私立の優秀な学校で学ぶこと。そこに受かるために、塾や家庭教師をつけてもらったり、習い事をさせてもらったりすること。
 
そうした過程を経ることにより、社会的に有益とされる、様々な能力を身に付け易くなる。そしてそれが、望まれる仕事にも繋がり、収入にも繋がり、生活水準にも繋がり、やがては保有資産にも繋がる傾向があるのです。
 
一方で、恵まれない境遇で育った子たちには、そのような機会は与えられません。その子たちにとって到底乗り越え難いものになるほど、そうした富裕層のアドバンテージは、日々どんどん積み重なってゆきます。これではますます、仕事・収入・生活水準・保有資産における格差は広がってゆきます。
 
しかも、それら日々のアドバンテージを与えられた富裕層の子たちは、それでも足りぬと言わんばかりに、ダメ押しともいえる親の財産をも相続するのです。一方で、どんどん遅れをとってしまう恵まれない境遇で育った子たちは、期待できる親の財産などありません。恵まれない境遇に陥った人やその子供たちにとって、教育や雇用などの機会は増えることなく、さらには相続により、富裕層との「機会の格差」が広がり続け、それにより「格差社会」は乗り越え難いほど固定化してゆきます。

生まれながらにして「機会の格差」が歴然としてしまっている、私たちのこの世界。そのあまりにも理不尽な境遇を、世代をまたいで、世界中で持続させているとても大きな要因が、私たちの「自己中心的な愛情」ともいえる、相続なのではないでしょうか。

続きを読む:相続をしない理由(6)【私たちにできること】
前回を読む:相続をしない理由(4)【財産目当て】

全シリーズ:相続をしない理由(1)~(7)
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#33: 相続をしない理由(第4回)

8/28/2018

 
【財産目当て】
アメリカの宝くじに当たると、莫大な賞金を手にする引き換えとして、ありとあらゆる人たちが、近づいて来るそうです。
 
「宝くじに当たったんだって。おめでとう。ところで昔の話だが、君の親がとても困っていた頃に、お金を貸したんだ。それを、返済してもらえないだろうか。」
「やあ、僕のことを覚えているかい。高校時代の同級生だよ。久しぶりだなあ、何十年ぶりだろう。ところで、儲かる投資先があるんだけど、出資してみないか。」
 
もちろん、まともな誘いもたくさんあります。しかし、なかには怪しいものもあるでしょう。
 
相続は、宝くじと似たような性質を備えています。たまたま、財産を持っている親のもとに生まれてきたというだけの理由で、何ら自分の努力とは無関係な財産を手に入れること。財産の多い人の子供であれば、たとえそれほど頑張らなくても、報われることがある。これは、単なる運という意味において、宝くじと似ています。
 
そして、宝くじの賞金と同様に、相続財産に近づいてくる誘い。それらには、まともなものもあれば、怪しいものもある。分かり易いものもあれば、分かり難い場合もあります。
 
例えば、結婚を考える程まっすぐな気持ちで、お付き合いをしている人がいる場合。真剣になればなる程、ふと疑問に思うことが出てくる時もあるでしょう。
 
「自分はこの人を、心の底から愛している。しかし、この人もそうなのだろうか。この人も、本当に私個人という人間を愛して受け入れているから、私と一緒にいるのだろうか。それとも、私の相続財産を目当てに、私と一緒にいるのだろうか。」
 
言うまでもなく、お金が主たる結び目となっている関係は、危うくてモロい。そして、その問いへの解答は、考えれば考える程、時として分からなくなってくることもあります。
 
その財産がなくとも、相手が去って行かなければ、その関係は本物でしょう。しかし、既に相続した財産、あるいはこれから相続するであろう財産があり、それを相手が知っていれば、確認することは容易ではありません。
 
また、そのような財産の話はしたことがないので、知らないだろうと思っても、本当に知らないのかどうか。また、親の生活を見たり聞いたりして、それとなく推察できる範囲内なのか。やはり最終的には、確認のしようがないのかも知れません。
 
人生における最も素晴らしい関係を、子が築くことが出来た。これは子本人にとっても、そして親にとっても、とても幸せなことです。親がこの世から去った後も、子の愛する人が、子に寄り添ってくれるということ。とても有難いことではないでしょうか。しかし相続により、その素晴らしい関係を危うくする不必要な負担を、子に背負わせることになりかねないのです。
 
もちろん、自分で働いて築いた財産を目当てで、近づいてくる誘いもあります。財産目当てという点においては、同じことでしょう。しかし、相続や宝くじの賞金には、それを築く過程における自らによる努力が欠如していることもあり、自分自身に対する確かな自信を形成する経験がそこには存在しないこともあり、一種独特な無責任さと危うさが内在するのではないでしょうか。
 
相続とは、受け取る側の気持ちとは別に、近づいてくる人たちの「自己中心的な愛情」に、利用されてしまう危うさもあるのです。

続きを読む:相続をしない理由(5)【不安定な世界】
前回を読む:相続をしない理由(3)【兄弟姉妹間の争い】

全シリーズ:相続をしない理由(1)~(7)
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#32: 相続をしない理由(第3回)

8/8/2018

 
【兄弟姉妹間の争い】
親が亡くなると、溢れ出てくる感情を落ち着かせる余裕もなく、お葬式が台風のようにやってきては、去ってゆく。そして、残された子たちのもとへ、息をつく間もなく次にやってくるのが、遺書です。
 
一般的な遺書には、残された家族への暖かな気持ちがつづられているのと同時に、財産分与についても書かれています。
 
相続をする残された子たち。子といっても、多くの場合は既に成人した、それぞれの家庭をもつ、独立した大人たちです。その大人たちには、それぞれの想いと感情があり、歴史があります。その歴史の一部には、親との関係が、紛れもなく刻まれています。そして、同じ親の子たちといえども、それぞれの親子関係があるのです。
 
昔から、親と気が合った子。そりが合わなかった子。また、自身の結婚など、ある出来事がきっかけとなり、親との関係が変わってしまった子。
 
幼い頃から、親と一緒に生活をほとんどしたことがない子もいるでしょう。一緒に生活をしていても、心を開放し、楽しみや悲しみの時間を共有していなければ、お互いを理解し合うことは難しい。一緒に生活をしていなければ、なおさらです。
 
近くに住んだり、場合によっては同居までして、親の老後の面倒を見た子。遠方に住んでいて、まったく老後の面倒は見れなかった子。あるいは、見ようともしなかった子。
 
そこには、自分が育つ過程において親から虐待を受けたから、見なかった子もいるでしょう。虐待による後遺症に悩まされ、見れなかった子もいるでしょう。それでも、資金的な援助はした子。しなかった子。
 
本当に様々ではないでしょうか。
 
また、それぞれの子の配偶者たちにも、それぞれの想いと感情があり、歴史があり、親との関係があります。同居までして、子の配偶者が中心となって老後の面倒をみた場合。当然に、あらゆる権利を得たと思う気持ちも、芽生えるでしょう。
 
そのような、多種多様な感情や関係がうごめく中、遺書には「財産は子に平等に分ける」とする場合もあれば、「長男には自宅を残す」こともある。あるいは「同居してくれた次女には多めに与える」とする場合もあれば、「何もしてくれなかった次男には、何も残さない」こともある。
 
残念なことに、亡くなった親との想い出や暖かな気持ちよりも、遺書の主役が財産分与になってしまうことが、割と多いのではないでしょうか。それは、とても悲しいことです。そして、その残された子たちによる、配偶者を巻き込んだ、骨肉の争いに発展することが、後を絶たない。
 
「自分の方が、老後の大変な時期の面倒を見たのに、同額なのは納得できない」とか。「自宅を長男がもらったら、残りはわずかしかないので不公平だ」など。金額の大小に関係なく、相続が発生したと同時に、兄弟姉妹間の仲が結束するどころか、修復不能なまでに破壊されることは、結構あるのです。
 
2014年の日本において、相続の争いが裁判にまで発展したのは1万5千件以上。そのうち、遺産が1千万円以下の場合が32%、1~5千万円以下の場合が43%でした。併せて、相続をめぐる裁判沙汰の4分の3が、5千万円以下の争いでした。
 
これらの数字は、例えば大都市圏でマンションを所有している親の場合など、財産をめぐる醜い争いは、ぼぼ誰にでも起こる可能性を示しています。
 
また、相続をすると相続税が発生します。日本の場合、相続税が発生するのが年間4~5万件ですので、そうすると、相続の約3分の1ほどが、裁判沙汰にまで発展していることになります。裁判にはならないまでも、何らかの争いに発展しているケースは、もっとあるでしょう。
 
相続とは、財産を残す親の気持ちとは裏腹に、受け取る側の「自己中心的な愛情」をも、むき出しにしてしまうことがあるのです。

続きを読む:相続をしない理由(4)【財産目当て】
前回を読む:相続をしない理由(2)【自律・自立の妨げ】

全シリーズ:相続をしない理由(1)~(7)
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#31: 相続をしない理由(第2回)

7/18/2018

 
【自律・自立の妨げ】
「自分の将来はもちろん自分次第だけれども、何はともあれ、いずれは親の財産がもらえるので、せっぱ詰まることはないだろう。」
 
親に財産があり、将来はそれを子に託すことを、それとなく親子で話している。あるいは、言葉にはしなくとも、それを暗黙の了解のように、家族の誰もが信じている。しかし、このような環境は、子の生きる力を身に付けづらくしてしまうのではないでしょうか。
 
人生の長い道のりにおいて、人はいくつかの岐路に立つでしょう。その勝負の時に、どれだけ自分の力を発揮できるのか。それによって、人の人生は大きく左右されるのではないでしょうか。その力は、岐路に立った瞬間に発する一時的なものだけでなく、それまでに積み上げられてきたものもあります。それらすべての、生きる力を身に付ける過程において、子がどれだけ自分自身の人生を生きるのか。
 
自分の人生は、自分自身で切り開くしかない人。
自分の人生といえども、最終的には親の財産があるという安心感に、甘えられる人。
 
どちらの方が人生の道のりにおいて、生きる力を身につけられる可能性が高いのか。そして、人生の岐路に立った時に、自分の力を最大限に発揮できる可能性が高いのか。それは、明らかではないでしょうか。
 
子には努力を求め、アテにするような財産は残さないことを、子が幼いうちから親が伝える。これは、自分の力で生きていく大切さを教えることに繋がります。
 
ほとんどの場合、親は子より先に、この世を去ります。
 
残された子にとって、自分の力で生きていけることに勝る、安心感と充実感はありません。
 
意識的かどうかは別にして、親の財産をアテにできる、子の安心感や甘え。この甘えの環境こそが、子の自律・自立を妨げ易くしてしまうのではないでしょうか。
 
自律とは、自らを律すること。自らを克服し、自分自身をしっかりといましめられることです。
 
自立とは、自らで立つこと。自らの努力により、自分自身の生活を成り立たせることです。
 
自律・自立が妨げられた子は、最終的には、親に頼る可能性が高くなります。正確には、親の財産に頼ると言えるのかも知れません。特に、家業を継ぐような場合は、なおさらでしょう。子の仕事と生活のほぼ全域が、親の財産に縛られるからです。
 
親は「仕方がない奴だ」とボヤきながらも、子がいくつになっても自分を頼ってくることに、それとなく優越感を覚え、ある意味において満足することもあるのでしょうか。それは、まるで自分がそれだけ頼り甲斐のある「立派な親」だという証のように。そして、頼られることにより、親による子の支配も成立し易くなります。
 
けれども、そもそも財産をアテにできるような環境を、親が子に提供したのです。その環境は、子がまだ幼い頃のそれとない会話や暗黙の了解にまで、さかのぼることもあります。それにより、子の生きる力を身に付けづらくし、子の自律・自立を妨げ易くし、そして、結果的に親の財産に頼るしかない状況をつくり易くする。それは、意識的かどうかは別にして、相続という「自己中心的な愛情」の、ありがちな末路ではないでしょうか。

続きを読む:相続をしない理由(3)【兄弟姉妹間の争い】
前回を読む:相続をしない理由(1)【親による、子の支配】

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#30: 相続をしない理由(第1回)

6/28/2018

 
【親による、子の支配】
「将来の不安を抱えることなく、彼が遊んで暮らせるのは、親の財産があるから。」
「親の財産があるので、彼女は生計を立てる心配をする必要がない。」
「お金持ちに比べると微々たるものだが、それでも親の財産は家計の足しにはなるので、もらえるものはもらっておきたい。」
 
これらのような話を、耳にすることがあります。「財産を子に残すことは、美徳だ」という人もいます。「相続は愛情だ」とすら呼ばれることもあります。
 
しかし、本当にそうなのでしょうか。
 
もしも相続が愛情ならば、子に残す財産を多く持っている人ほど、より愛情豊かなのでしょうか。しかし、子に関心を示さない、愛情の希薄な富豪が、たんまりと遺産を子に残した例は、枚挙にいとまがありません。また、財産を持っているが故に、不幸な人生を送ってしまった人たちは、きりがない程たくさんいます。
 
もしも相続が愛情ならば、親から遺産を多くもらった人ほど、より愛情に満ち溢れているのでしょうか。しかし、遺産をもらったことにより、周りとの争いや自分自身との葛藤の末、不幸になってしまった人たちはたくさんいます。
 
もしも相続が愛情ならば、子に残す財産を持っていない人は、愛情が希薄なのでしょうか。しかし、残せるような財産はほとんど無いけど、愛情はたっぷりそそいでくれる人たちもたくさんいます。そのような人たちのもとで育ったことにより、幸せになる人たちも大勢います。
 
相続をしても、あるいはしなくても、愛情に満ちて幸せになるかどうかは、別の話です。
 
そこで、考えさせられます。
 
本当のところ、相続とは「自己中心的な愛情」ではないでしょうか。
 
「親が子を育てたうえに財産をも残すのだから、親の言うことに、子は従うべきだ。」
 
意識的かどうかは別にして、このような考えを反映した言動をとる親は、結構いるのではないでしょうか。その結果、子は人間としての尊厳を傷つけられ、自分自身の人生を「生きづらい」とすら感じるまでになることもあります。
 
親の望む通りにしなければ、財産をちらつかせて、子をコントロールする。子は、親と仲良くしたい気持ちを、本能的な特性とすら思えるレベルで持っています。しかし、同時に「財産をもらいたい自分」に対する自らの後ろめたさや、もう一方で抱える「当然の権利」意識も複雑に重なり、親の支配に耐え、そして感情を飲み込み続けてしまうこともあるでしょう。
 
また、親による子の支配には、親の責任を果たせなくとも、子に財産を残すことによって免罪符が与えられると勘違いする、あまりにも都合の良い親の甘えも含まれることがあります。
 
共に過ごした楽しみや悲しみといった、心の通った思い出をたくさん残す。その子自身をしっかりと見つめ、その子に合った育て方を正直に真剣に模索し、目一杯の愛情と時間をそそぐ。意図的かどうかは別にして、そのような親の責任を果たせない場合のことです。また、どれほど真っ当な親であっても、あるいは真っ当であればある程「親として、失敗したことはたくさんある」と反省するのかも知れません。
 
「親としての不甲斐なさを、お金で帳消しにできる。あるいは『立派な親』という称号を、お金で買える。」
 
これらのような親の「自己中心的な愛情」が見られる場合は、それは相続と一体となり、次世代へ引き継がれてゆく傾向があります。親に支配されて育った子は、自らが親になった時に、かつての自分がされたのと同じように、自分の子を支配してしまう傾向にあることが、虐待に関するあらゆる研究結果において報告されているのです。

続きを読む:相続をしない理由(2)【自律・自立の妨げ】

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#3: 固定化した富と貧困の連鎖を断つには

2/13/2017

 
自分の子が可愛いと思う気持ちは、本当に素晴らしいことです。
 
人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものの神秘とも言えるのではないかと、思ったりもします。
 
しかし、この気持ちが、いつしか自分の子さえ良ければいいという考えにすり替わってしまっているとしたら、これはたいへん残念なことになってしまいます。なぜなら、この考えが、世界的に格差社会を広げている根源にあるからです。
 
アメリカや日本のような資本主義国家のみならず、結果の平等を求める共産主義や社会主義の国家でさえ、富の格差は広がる一方です。アメリカではトップ1%の富裕層が、米国全体の40%の富を占めているそうです(2014年)。ということは、300万人のアメリカ人富裕層グループが、残りの3億2000万人のアメリカ人全員と、ほぼ同じくらいの財産を持っていることになります。

感覚的にそこまでの格差社会ではない日本でさえも、トップ
2%の富裕層が、日本全体の20%の富を占めているそうです(2012年)。さらに、2016年3月の参院予算委員会で「上位1%に日本の富の47%が集中している」と指摘されたことが報道されています。もしこの数字が正しければ、日本はアメリカよりも富が集中していることになります。
 
もちろん、いくら頑張っても、あるいは頑張らなくても、生活水準は何も変わらないとなれば、大多数の人は怠けてしまい、それは社会全体にとってマイナスでしょう。これは、共産主義や社会主義が1900年代に衰退してしまったことで実証されたと言えます。

ですので、努力した人がしっかりと生活水準を上げていくことや、怠けた人が生活水準を下げざるを得ないというのは、資本主義が現在のところ一番良さそうなシステムである以上、これは納得ができます。それにより、社会全体が繁栄していくことが望ましい姿です。

 
けれども、問題はその後です。
 
富の格差が広がっている大きな原因は、裕福な者はより裕福に、貧しい者はより貧しくなってしまっている、固定化された連鎖にあります。なぜ連鎖するのかというと、多くの富裕層は富を相続しているからです。
 
大多数の裕福な親が、自分の子に財産を遺しているからに他なりません。
 
そもそも、資本主義の目指すべき姿とは、努力した人が報われるシステムです。しかし、現在は、財産の多い人の子であれば、たとえ頑張らなくても、報われることが結構あるシステムになってしまっています。

一方で貧困層はどうかというと、財産をもらうどころか、借金を遺されるおそれすらあります。いくら努力しても、固定化された貧困の連鎖から抜け出すことが容易ではないとなると、これは資本主義の目指すべき枠から逸脱していると言えるでしょう。むしろ、侍の子は侍であり続け、百姓の子は百姓であり続けていた、士農工商のシステムに似ているとすら感じます。

 
そこで重要になってくるのが、富の再分配です。
 
もちろん相続税はありますが、多くの富裕層はあの手この手を使って、出来る限り自分の可愛い子や子孫代々にまで財産を遺そうとします。
 
自分の子が可愛いと思う気持ちは、本当に素晴らしいものです。
 
しかし、自分の子さえ良ければいいというのは、利己的(selfish)になってしまいます。
 
世界にいる子たちは、みんな可愛い子どもたちです。みんな希望と夢にあふれてほしい子ども
たちです。

資本主義が目指す姿に立ち戻り、努力した人が報われる社会を、よりいっそう追い求めてみてはどうでしょうか。

 
子には努力を求め、あてにするような財産は遺さないことを、子が幼いうちから伝える。これは、自分の力で生きていく大切さを教えることに繋がります。

ほとんどの場合、親は子より先に、この世を去ります。

 
遺された子にとって、自分の力で生きていけることに勝る、安心感と充実感はありません。
 
子に財産やお金を遺すのではなく、共に過ごした楽しみや悲しみといった、心の通った思い出をたくさん遺す。その子自身をしっかりと見つめ、その子に合った育て方を正直に真剣に模索し、目一杯の愛情と時間をそそいだら、その後はその子自身の生きる力を信じて見守る。
 
そして、一生を終えてもなお遺った財産は、相続ではなく、恵まれない境遇にある子どもたちや人々に還元することが、富の再分配に向いていると思います。

 
努力を怠ったが為に、そのような境遇に陥った人も中にはいるでしょう。しかし、例えば、貧しい国や紛争地域で、たまたま生まれてしまった。経済的に恵まれない家庭に、たまたま生まれてしまった。ひどい両親の元で、たまたま育ってしまった。生まれて間もなく孤児になった。厳しい差別・弾圧・迫害にさらされるマイノリティとして、たまたま生まれてしまった。生まれつき体が不自由だった、など。

大多数の人たちは、本人になんら選択の余地のない状況から、恵まれない境遇に陥ったのです。人生の出だしから、恵まれた境遇の人たちと同じスタートラインに立っていなかったのです。そして、育つ過程においても、同じグラウンドにも立たせてもらえなかったのです。

 
「それは分かる。けれども、財産をもらえない自分の子が、可哀そうじゃないですか。」
 
そう言われる方もいると思います。
 
しかし、本当に可哀そうなのでしょうか。
 
例えば、裕福な家庭では、自分の子にかけられるお金があるため、衣食住に困ることがないのはもちろんのこと。家族と楽しい旅行に出かけて、一生大切にする思い出を作ること。大きな世界を肌で体感して、見識を広げること。私立の優秀な学校で学ぶこと。そこに受かるために、塾や家庭教師をつけてもらったり、習い事をさせてもらったりすること。

既にその子は、恵まれない境遇
で育った子たちより、遥かに恵まれた育ちが出来ているのです。恵まれない境遇で育った子たちにとって、到底乗り越え難いものになるほど、そうした富裕層のアドバンテージは、日々どんどん積み重なってゆきます。
 
それでも、さらに財産をもらえないと「自分は可哀そうだ」と思ってしまう子だとしたら、よりいっそう親子の深く多面的な会話が、求められるのではないでしょうか。
 
それでは、相続は絶対に避けたほうが良いのでしょうか。
 
そうではないと思います。主に二つの例外は考えられます。
 
一つ目は、恵まれない境遇にある子供たちや人々に向けた慈善事業などを、子が人生をかけて全うするような場合です。親の財産を、その活動を支えるために使ってもらえるのなら、恵まれない境遇にある子供たちや人々に還元することに繋がります。
 
二つ目は、子やその家族になんらかの身体の障害があり、生きていくためのケアにお金がどうしても必要な場合です。同じような境遇でありながら、そのようなお金がない方々のことを想うと、これは利己的(selfish)になるのではないかと心が引き裂かれます。しかし、同時に、身体的に恵まれない者の親族としての責任でもあると思えるのです。
 
努力した人が報われて、固定化した富と貧困が連鎖しないシステム。そのような、現在の資本主義よりもっと優れたシステムを、信念をもって全員で構築できないものでしょうか。個々人の行動によって、連鎖を断つことができるのです。 
​
​それは、遺せる財産をもつ一人ひとりのモラルにかかっているのではないでしょうか。


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    Author プロフィール

    JOE KIM
    Retired from business at age 34. Now, an active supporter of inclusive initiatives globally.
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    34歳でビジネスから引退。現在は、インクルーシブな支援活動家。
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