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【常識って?】
差別的な発言を濁すつもりで、語られる言葉があります。 「これは差別ではなく区別ですが…」。 例えば、 「これは差別ではなく区別ですが、最近の中国人や韓国人はマナーがなっていないので、もう来ないでほしい。」 「これは差別ではなく区別ですが、外国人や移民が増えると治安が悪くなるので、どこか他のところへ行ってほしい。」 「これは差別ではなく区別ですが、同性愛者が周りにいては、子どもの教育上よろしくないので、その人たちはその人たちだけで集まってほしい。」 など。 先ず、この言葉が示しているのは、発言者が、自分を中心として差別を捉えているということ。けれども本当は、差別発言かどうかを判断するのは、発言者本人よりも、それを聞いた他者、特にその発言により差別されたと感じた人たちなのです。 それでは、なぜ多くの差別発言者は、自分を中心として差別を捉えてしまうのでしょう。それは、差別発言者の多くはマジョリティ(多数派)が「常識」を決め、マイノリティ(少数派)はそれに従うしかないと、意識的かどうかは別にして、そう思い込んでいるからではないでしょうか。 それは、世界的な広い視野で捉えれば「常識」ではないことでも、その人の所属するコミュニティにおいては、それを「常識」だとしてマジョリティが数の力で押し通せてしまうから。そして、幼い頃からずっとそうだったから、知らず知らずのうちに身に沁みついてしまっているのかも知れません。 けれども本当は、マジョリティであることは、正義を証明された訳でもなく、正しい訳でもない。誤っていることもままある。その時点において、マイノリティを単純に数で上回っていることに過ぎない。 もちろん、マナーのなっていない中国や韓国の人たちもいるでしょう。けれども、それをもってして、すべての中国や韓国の人たちのマナーがなっていないと示唆することは、乱暴な偏見でしょう。また、それにより、すべての中国や韓国の人たちは「来ないでほしい」と言うことは、差別になります。 中国には13億人、韓国には5千万人の個人が、私たちと同じように、一人ひとりの個人として生きています。その人たちを、あたかもすべて把握しているが如くの発言は、明らかに乱暴でしょう。それは、日本人から見たら76億人もいる「外国人」というくくりにしても、世界中で2億4千万人もいる「移民」というくくりにしても、そして推定7億人はいるとされる「LGBTQ (Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender, Queer)」というくくりにしても同じです。 それは、ある人が旅行程度にしか日本を訪れたことがなく、生涯に知り合った日本人は僅かなのに、たまたま知り合った日本人たちのマナーがなっていなかったと、その人がその人の所属するコミュニティの「常識」でそう感じたからといって、「最近の日本人はマナーがなっていない」と1億2千万人もの日本人をすべて把握しているが如くの発言をするのは、明らかに乱暴なのと同じです。 冷静になってよく考えてみると、マナーのなっていない人は、周りを見渡せば結構いるのではないでしょうか。治安を悪くしそうな人だって、教育上よろしくなさそうな大人だって、それなりにいるのではないでしょうか。日本であっても、アメリカであっても、エジプトであっても、北朝鮮であろうとも、当然にいるでしょう。 大切なことは、どこの国・どの地域・どの人種・どの性別・どの性的指向・どのような健康状態の人であろうが、一人ひとりを個人として認め、そして、その人にしっかりと向き合うことではないでしょうか。 そうすれば、「中国人」・「韓国人」・「外国人」・「移民」・「LGBTQ」といった単位で、乱暴にひとくくりにしてしまうことが、とても視野が狭く、浅はかで、差別的になりがちだと気が付くでしょう。 続きを読む:差別をなくす(2)【外に出てみる】 全シリーズ:差別をなくす(1)~(12) [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] 同じテーマを読む:差別 Comments are closed.
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