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【なぜ いけないのか】
「人に迷惑をかけない」美徳が、いつしか「人から迷惑をかけられたくない」にすり替わり、さらには「迷惑をかける人は良からぬ人だ」となってしまう。けれども、そうであるならば、本人にはどうにも出来ない理由で、「迷惑」と捉えられてしまう人たちはどうなるのでしょう。 例えば、何らかの病気や障害をもって生まれた人。本人になんら選択の余地のない理由で、「迷惑」と捉えられてしまうこともあるでしょう。そして、それは、病気や障害をもって生まれた人たちに対する偏見へと形を変えることもあり、差別を招く危うさをもはらんでいます。 なぜ差別がいけないのか。その本質的な理由は、本人になんら選択の余地のない生まれながらの特徴によって、理不尽な除外や拒否を受け、傷つけられるから。病気や障害のみならず、人種・民族・出身・家庭環境・性別・性的指向などは、生まれながらにして選ぶことができない。 生まれつき体が不自由だった。マイノリティとして、この世に生まれた。戦争状態にある国で、あるいは貧困に苦しむ家庭に、たまたま生まれてしまった。虐待を繰り返す両親の元で、たまたま育ってしまった。生まれて間もなく孤児になった。生まれながらにして、体の性と心の性が一致しない。など。 それらをもってして「迷惑だ」と捉えられたり、偏見を抱かれて、差別を受ける。それは、例えどのような理屈をこねようとも「仕方のないこと」ではなく、あってはならないのです。仮に、世の中には多くのグレーゾーンがあり、善悪でさえも白黒ハッキリし難いのだとしても、差別とは、一点の曇りもなく、あってはならないことなのです。それは、全くもって理不尽な除外や拒否であり、それによって傷つけられるからです。 有難いことに医療の進歩は目覚ましく、今では病気や障害を克服したり、性別を選択することさえも、場合によっては可能な時代になりつつあります。生まれながらの苦しみから、少しづつであっても自由になれる人たちが増えることは、とても素晴らしいことです。 そのような中、「差別をされたくなければ、差別をされている人間が変われば良いだけだ」という人もいるようです。 けれども、生まれながらの特徴を変えることが可能だからと言って、その特徴を持つ人たちに対する差別を、正当化しても良いことにはなりません。例え、その特徴から自由になることが可能であるとしても、生まれながらの特徴によって、理不尽に傷つけられてはならないことに、違いはないからです。 生まれながらの病気や障害は、本人がそう願ってなった訳ではありません。生まれながらにして体の性と心の性が一致しないのも、本人がそう願ってなった訳ではありません。誰もが、生まれながらに差別をされたいとは思っていません。 その切実な気持ちを感じ取ることができるのなら、「生まれながらに同じでなければ、あるいは、生まれながらの特徴を変えなければ、差別をされても仕方がない社会」を許容してはならない。たとえ自分自身が差別の対象ではなくとも、対岸の火事のごとく、見て見ぬふりをしてはならない。 それは、私たちの社会が、私たち一人ひとりの考えの積み重ねにより、形成されているからです。そうであるからこそ、私たち一人ひとりの意識と行動により、差別をなくすことができるのではないでしょうか。 続きを読む:差別をなくす(5)【選択による特徴】 前回を読む:差別をなくす(3)【迷惑って?】 全シリーズ:差別をなくす(1)~(12) [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] 同じテーマを読む:差別 Comments are closed.
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