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【ワクチン接種】
最近、このような話をよく耳にします。 Aさん:「自分はコロナにかからないと思う。万が一かかったとしても、コロナは怖くない。だって、自分は健康だし、比較的若くて肥満でもないから、きっと症状は出ないか、出たとしても軽いだろう。慌てて開発されたワクチンは信用ならないし、そもそも、ワクチンを拒否する自由がある。」 もちろん、すべての人に自由はあります。ワクチン接種の選択も、そのひとつでしょう。 けれども、Aさんの考えには、ワクチン接種は「自分のためだけ」という思考が伺えます。 デルタ株のような感染力・重症化リスクが極めて高い変異株が発生するのは、人びとが新型コロナウイルスにかかり、感染し合うことにより、ウイルスが変異し続けるからこそ。その変異をできる限り阻止するには、コロナの感染を減らすことが重要です。 特に、健康に不安を抱えていたり、免疫力が低下しているお年寄りや疾患のある人たち、ワクチンが接種できない子どもたちやアレルギーを抱えている人たちを、少しでも守るひとりになること。また、日々コロナと向き合っている医療従事者たちや、医療のひっ迫により通常の治療が受けられなくなっている疾患のある人たちを、少しでも助けるひとりになること。 ワクチンのアレルギーリスクが低く、接種可能な年齢の人であれば、周りの人たち、そして世界中の人たちを少しでも守るため、社会における責任あるひとりとして、ワクチン接種を引き受けるべきではないでしょうか。 そう考えたなら、たとえ本気で「自分はコロナにかからない・コロナは怖くない」と信じているとしても、自分以外の人たちへの思いやりをもって、可能な限り予防をするべきではないでしょうか。「自由」を語ってはいるものの、実際のところは「自分さえ良ければ」になってしまわないためにも。 特にアメリカやヨーロッパでは、ワクチンはおろか、マスクをしない「自由」を主張して、対立が深まっています。 普段は「命を懸けて、地域の人びとの安全を守る」と胸を張る警察官や、「命がけで国民の命を守る」と豪語する軍人たち。その中ですら、ワクチン・マスクをしない「自由」を語り、「自分さえ良ければ」が見え隠れする人たちが、後を絶たない。普段の言動との乖離から、その本心が「人びとを守る」ではないことが、透けて見えます。 先日、ドイツのイダーオーバーシュタインにあるガソリンスタンドで起きた事件。ビールを買おうとした際に、マスク着用を求められ逆上した49歳の男性が、20歳の学生店員を拳銃で射殺。犯人は、マスク着用は「自分が持つ権利の侵害、他に解決策がなかった」と供述しているそうです。 自分の「マスクをしない自由」を語り、学生店員の人として最も基本的である「生きる自由」を永久に奪うこと。 殺す自由と、生きる自由。 銃を持つ自由と、銃におびえることのない自由。 すべての人に自由はあります。すべての人や生きものに備わるべきです。 そして、自分以外の人たちへの思いやりをないがしろにしては、みんなの自由とはいえません。 一方で、社会全体のために、個人の自由が犠牲にばかりなってもいけない。ナショナリズム・社会主義・共産主義が、権威主義やファシズムに陥る傾向があるのは、このためです。 そうであるからこそ、責任ある大人として、社会のひとりとして、自由を満喫し、そして周りの人たちや世界中の人たちへの思いやりをもって、自由をセーブする。 みんなの自由が成り立つためには、他者の命・生活・尊厳に対する暴力になりかねない場面において、自らの意思をもって自分の自由を自粛することが、とても大切ではないでしょうか。 続きを読む:みんなの自由(2)【ヘイトスピーチ】 同じテーマを読む:多様性/インクルーシブ Comments are closed.
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