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「自分は特別な存在なんだ。」
幼少期において、子どもたちがこう思えることは、親との愛着形成や安定した成長を育む上で、とても大切です。生まれた時から自分が特別な存在であることを、子どもたちは多くの場合に両親・親族から教えられ、守られている安心感を抱きます。その過程において、自分たちの国籍・人種・民族・文化・宗教に特別な所属意識・アイデンティティを見いだし、それが自己肯定感に繋がる。 このような「特別感」は幼少期には重要で、これが損なわれると、親との愛着形成が育まれ難く、不安定な成長になりがち。けれども、とても厄介なことに、この「特別感」を大人になってもそのまま持ち続けると、かえって悪さをしかねないのです。 例えば、「自分が特別なのであれば、他の人たちは(少なくとも自分よりは)特別ではない」と、対比してしまいがち。 このような「特別感」を多くの大人たちが持ち続けていることが、世界中で差別・紛争・戦争など「自分たちさえよければ」が無くならない一つの要因になっています。また、直接的な攻撃・暴力でなくとも、ほとんどの人たちが当たり前のように親の財産を相続することも「自分たちさえよければ」の典型でしょう。[詳しくは#34] なぜなら、これらのような「自分たちさえよければ」の犠牲に巡り巡ってなるのは、本人になんら選択の余地もなく、恵まれない境遇に生まれた人たちだからです。 たまたまマイノリティに生まれたので、理不尽な除外・拒否を受ける。たまたま紛争地域に生まれたので、毎日が命の危険と隣り合わせなのは理不尽です。たまたま貧困に苦しむ家庭に生まれたので、基本的な衣食住にも困り、教育も満足に受けられず、辛酸をなめ続け、ましてや相続する財産などある筈もない。 他方では、マジョリティに生まれたり、平和な地域に生まれたり、経済的にそこそこであっても恵まれた家庭に生まれて、そうでない人たちが必要としているのをよそに、生まれながらの格差をさらに乗り越え難くするのは「自分たちさえよければ」になってしまいます。 本人になんら選択の余地のない生まれながらの特徴は、本人の努力とは一切関係のない、ただの運に過ぎません。それによって、一方で優遇され、他方では除外・拒否を受けることはあまりに理不尽です。 そのような理不尽を世代をまたいで継続させてしまう所属意識・アイデンティティからは、大人になるにつれて成長しなくてはいけません。「自分たちさえよければ」に流されないためにも、幼少期には自己肯定感を育むために必要だった「特別感」から、大人になるにつれて成長しなくてはならない。 それは、今まで持っていた国籍・人種・民族・文化・宗教のアイデンティティや、あるいは家族のアイデンティティから成長するということ。 ここで間違えないようにしたいのは、それは何も、国籍・人種・民族・文化・宗教や家族のことを考えないとか、あるいは「あるものを、ないことにする」ではないということ。 そうではなくて、「自分たちさえよければ」に囚われ続けず、自分たちのアイデンティティの外側に生きる人たちを除外・拒否しないためにも、自身のアイデンティティの枠を広げるということ。 それは「人間としてのアイデンティティ」や「生きものとしてのアイデンティティ」へ成長するともいえるでしょう。 自分が特別ならば、他の人たちや生きものたちも、みんな特別でしょう。幼少期には、それでは物足りないものの、大人になったら広くインクルーシブに自身のアイデンティティを成長させる。 「特別感」を満たしてくれる所属意識・アイデンティティは出発地点に過ぎません。目的地であってはならない。 すべての命にとってより良い世界を築くためにも、私たち大人が広くインクルーシブに成長し続けることが、とても大切です。 同じテーマを読む:多様性/インクルーシブ Comments are closed.
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