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【優しい人】
「安全・礼儀正しさ」を誇るけれども、世界中の必要としている人たちを受け入れない国。 「安全・礼儀正しさ」を妥協してでも、世界中の必要としている人たちを受け入れる国。 「優しい人」とは、自分にとって不便であっても、また時には不快であっても、必要としている他者を受け入れて助けようとする人。 「優しい国」とは、そのような優しい人たちがより多くいるところ。また、「優しい社会」ともいえるでしょう。 それは、たとえ文化・習慣が異なった人たちと共に生活をすることが、とても複雑・難解であっても。 もちろん、安全はとても重要です。安全の積み重ねにより、平和は築かれます。けれども、自分たちだけ安全を確保するというのは、「自分たちさえよければ」になってしまいます。 それは、優しい人のすることではありません。 シリア、アフガニスタン、ウクライナ、パレスチナ、南スーダン、ミャンマーなど。紛争や暴力で家を追われた難民は1億1400万人を超え、人類史上最悪となっている現在。そのうち約4割が18歳未満の子どもたち。3分の1の家庭が子どもを学校に通わせられず、教育費を払える家庭はわずか1割。 たまたま、安全で豊な国の国民に生まれたというだけで、その恩恵を受けることができる。他方で、貧困にあえいでいたり、紛争地域の国民に生まれたというだけで、安全で豊な国の恩恵をシェアしてもらえない。 みんな平等な人間なのに、生まれで不平等を押し付けられるのは、とても理不尽でしょう。 今の日本を「優しい国」だと称賛してしまうと、世界中で必要としている人たちを拒絶してまで「自分たちさえよければ」を続ける人たちを、「優しい人」だと称賛することになってしまいます。 本当に「優しい国」とは、日ごろから人びとが移民・難民の受け入れについて議論を重ね、世界的視野をもって他者を大切にする心を育て、困っている人たちを助ける考えを深め、そして、社会全体を成熟させようと一生懸命に頑張っている国です。 アメリカという国では、国民全体の約半数であるリベラルな人たちが、そのような努力をしているところに希望を抱きます。他方で、同じ国でも、トランプ支持者たちなど国民の半数弱を占める保守的な人たちは、正反対の考えを主張して「自分たちさえよければ」に戻そうと必死です。 日本という国では、未だに正式な移民政策を拒絶し、あつれきを避けるために国境をほぼ閉ざしています。変化を避けたがる社会を、何とか変えてゆこうとするリベラルな人たちはうとまれ、今のところ残念ながらかなりの少数です。大多数の人たちは「自分たちさえよければ」を特に問題と感じず、あるいは気がついてすらおらず、又は気がついていたとしても、今まで通りに流されています。 文化・習慣が異なった人たちを受け入れ、大きな器をもって多様性を歓迎し、多彩な背景の人たちと共に生活をすると、自分たちのまちが、以前と比べて随分と変わってしまったと感じることもあるでしょう。一種の悲しみのような、郷愁のような、切なさのような感情が溢れ出ることもある。 けれども、だからといって「自分たちさえよければ」に流されないようにしたい。 複雑・難解であっても、それでも、他者を受け入れて大切にする心を育てたい。 前回を読む:優しい国(1)【安全で礼儀正しい】 同じテーマを読む:倫理観 Comments are closed.
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