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【視点】
人びとの人生を不幸に陥れる戦争や暴力を、宗教をめぐって起こすというのは、どの宗教であれ、その根底に流れる「他者を大切にして、困っている人たちを助けて、人びとの幸せに貢献する人生を生きましょう」とする本質を考えたなら、明らかに矛盾していると言わざるを得ません。 それでは、宗教とは、なくなった方が人類のためなのでしょうか。 宗教をめぐった暴力や争いを知れば知るほど、そのように考えがちになります。直近の1千年で、約4千万人の人びとが、宗教の名のもとに殺害されているのだとすれば、なおさらでしょう。 けれども、宗教の教えを力として、他者を大切にして、困っている人たちを助けて、人びとの幸せに貢献する人生を生きた人たちや、現在もそう生きる人たちが、たくさんいることも事実です。 1960年代のアメリカにおいて、すべての差別主義を撤廃するべく、「平等」の履行を政府と社会に求め続けたマーティン・ルーサー・キングは、キリスト教の牧師でした。キングによる人類と平和への貢献や、その生き様は、キリスト教をなくしては語れないほど、宗教と密接な関係にありました。 1900年代のインドにおいて、非暴力抵抗をもってインドを独立へと導いたマハトマ・ガンジーはヒンズー教徒ですが、同時にイスラム教徒でもあり、キリスト教にも賛同すると語っています。ガンジーは、どの宗教も他の宗教を取って代わるのではなく、調和するものであり、すべての宗教の根底に流れる教えを模索しました。 現在においても、女性の就学支援に力を注ぐ人権運動家のマララ・ユスフザイはイスラム教徒です。 彼ら・彼女らのように、宗教の教えを力として、他者を大切にして、困っている人たちを助けて、人びとの幸せに貢献する人生を生きる人たちは、過去にも現在においても、たくさんいます。そうであることから、宗教はなくなった方が人類のためだとは、とても言えないでしょう。 そこで考えさせられます。どの宗教であれ、宗教自体がどうのこうのではなく、本当に問われるべきは、その教えを人びとがどの様に活用するのかではないでしょうか。 それを大きな視野で捉えたならば、宗教とは、人びとがもつ「視点」であると解釈できます。 例えば、24億人の人たちが聖書に書いてある視点を共有していることが、キリスト教徒であるということ。同じく、19億人の人たちが、コーランに書いてある視点を共有していることが、イスラム教徒であるということ。 4大宗教ともなると、それぞれ5億人から24億人までの人たちが共有するとても大きな視点なので、それこそが「事実」だと考えがちです。けれども、どれほど多くの人たちが共有していようとも、それぞれが人びとがもつ「視点」なのではないでしょうか。 例えば、1600年代を生きたガリレオ・ガリレイは、地球は太陽の周りを公転していると説きましたが、当時の大多数の人びとは彼の発見を信じません。また、絶大なる権力を誇るカトリック教会は地球中心説を絶対とし、聖書の教えに反するとして、ガリレオを終身自宅監禁に処します。このように、どれほど多くの人びとが共有する視点であれ、真実を変える訳ではありません。 そして、人間が存在するから、聖書やコーランが存在し、教会やモスクが建てられ、礼拝や行事が行われ、そして宗教自体が存在するのではないでしょうか。その逆ではないことからも、宗教は人びとが考えついた視点であることが伺えます。 そう考えたなら、宗教を通して本当に見えてくることは、人間の有りようかも知れません。人びとが何を・どう考え、何を・どう必要とし、いかに生きようとしているのか。 宗教の教えを、人びとがどの様に活用するのかによって、人間の有りようが見えてきます。 自分の信仰する宗教の神が、唯一無二の神であり、他の神は認めず、分断のために宗教を利用するのか。それとも、そもそも神は「他者を大切にして、困っている人たちを助けて、人びとの幸せに貢献する人生を生きましょう」とする本質であることを忘れずに、すべての神を認め、多様性を歓迎する平和のために宗教を活用するのか。 あるいは、自分と同じ宗教を信仰する人たちを優遇し、他の宗教を信仰する人たちは冷遇し、分断のために宗教を利用するのか。それとも、そもそも宗教は「他者を大切にして、困っている人たちを助けて、人びとの幸せに貢献する人生を生きましょう」とする本質であることを忘れずに、すべての人たちへの機会の平等を求め、差別をなくし、多様性を歓迎する平和のために宗教を活用するのか。 人びとが、宗教を「分断の道具」として利用するのであれば、どの宗教であれ、その存在意義である「すべての人にとって世界をより良くする」は失われてしまいます。 一方で、人びとが、宗教を「多様性を歓迎する平和の道しるべ」として活用するのであれば、どの宗教であれ、それはとても意義深いことになります。 世界の人口の大多数が何らかの宗教を信仰していることから、分断なき多様性に向けて、更なる前進が宗教の考察には求められます。 続きを読む:分断なき多様性に向けて(3)【違い】 前回を読む:分断なき多様性に向けて(1)【宗教】 全シリーズ:分断なき多様性に向けて(1)~(7) [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] 同じテーマを読む:多様性/インクルーシブ Comments are closed.
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