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親にとっても、子にとっても、親子関係は特別な関係性です。そして、時にその関係は、師弟関係になぞらえられることもあります。
「師弟関係」などと言うと、何だか古臭く聞こえます。けれども、今日においてもそれらしき関係性は、親子関係以外にも見られます。例えば、学校の「教師と学生」。あるいは、塾や習い事の「先生と生徒」。それは、会社の「上司と部下」にもあるでしょう。 もちろん、これらの関係性すべてにおいて、師弟関係が成り立つ訳ではありません。残念なことに、上に立つ者が常に優れた人物である、とは限らないからです。その場合、「師」と呼ぶには相応しくないでしょう。 また、師弟関係とは言っても、絶対服従のような堅苦しい意味での「師弟」というよりは、むしろ、弟子の成長を促すため、師から弟子へ、何らかの知恵を教える関係性を表しています。もちろん、その過程において、師も弟子から色々と教わります。 ひとつの例として、友達に手をあげてしまった子に、「相手を叩いてまで、自分に従わせようとしてはいけない」と、親が教える。 「なぜ、いけないの。こっちがやらなかったら、あっちにやられるんだよ」と、子が反論する。 「それは、暴力で相手を支配しようとすると、たとえ短期的には抑え込めたとしても、長い目で見たら納得が得られず、結局は、お互い幸せから遠のいてしまうからだよ」と、親は説明する。 「けど、昔から世界中で、やらなかったらやられるんだと、大人たちがそう言って、叩くどころか戦争で人殺しをして来たし、実際に今でもそうじゃないか」と、子はヒートアップする。 「そう、叩くのも、戦争も、暴力で相手を支配しようとすることに変わりない。ましてや、人殺しである戦争は、何があっても絶対にいけないんだよ」と、親はそう言いつつ、自らが語った言葉の重みを教わる。 また、このような会話は、子の理解を得るまでに、年単位の時間を要することもあります。けれども、それが何年先であろうとも、子が理解を示した時に、親は「見守ることの大切さ」を改めて教わります。 このように、親子関係において親も子も、お互いからたくさんのことを学びます。師弟関係も同じでしょう。 そして、その先にあるのは、弟子がいずれ、師を追い越すこと。それは、子が親を追い越すことでもあります。 親子と同じく、多くの場合、弟子は師よりも若く、みるみる成長する。そして時代も、弟子の成長を後押ししてくれます。師が育った頃よりも、人類の知恵はさらに蓄積されていて、テクノロジーの進化により、その知恵のアクセスは広く速い。そして、人類のモラルも上昇している。数十年・数百年前に比べると、人権意識が格段に世界に広がったことも、その証であり、またそれも、弟子の成長をさらに後押ししてくれるのです。 師が弟子に、知恵をしっかりと教えたのなら、弟子が師を追い越す日が来ることは、まったくもって自然な流れでしょう。それは「残念なこと」ではなく、「悲しいこと」でもない。むしろ、教えること本来の目的を達成したという「嬉しいこと」であり、また「そうあるべきこと」ではないでしょうか。 その時に、師が、その師弟関係にしがみついてしまっては、余りにもみっともない。師がいつまでも「先生」で、弟子がいつまで経っても「生徒」だとするのならば、その関係性は、それこそ本来の目的を見失っているのではないでしょうか。 むしろ、弟子の旅立ちを、師は「やり切った充実感」と共に、そこにこそ「人類の希望」を見い出し、清々しく送り出すべきではないでしょうか。人類のモラルが上昇曲線を描き続けるのならば、弟子は師を追い越して然るべきなのです。 「今まで私は、出来る限りあなたに教え、そして教わった。それは、もう充分やり切った。だから私たちは、もはや師と弟子ではない。これからの私たちは、共にこの世界をより良くしてゆく仲間だ。」 100年ほど前のドイツに生きた哲学者・ニーチェも、そのように説いたと言われます。 師弟関係から弟子を開放できるのは、また、見たこともないような美しい花を咲かせるのも、師の潔さにかかっている。親子関係もまた、そうではないでしょうか。 同じテーマを読む:家族 Comments are closed.
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