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【すべての命にとって】
妊娠中絶のみならず、避妊すら許容しないカトリック教会。その最高指導者であるローマ法王フランシスコは、中絶を「殺し屋を雇って、問題を解決する」ことになぞらえます。 センセーショナルに聞こえるかも知れませんが、これには、一理あるでしょう。 中絶も、殺人も、そして戦争も、「人を殺して今ここにある問題を解決しようとする試み」として、共通するところがあります。ここで考えるべきは「命を奪うことによって、問題を解決しようとしてはならない」ということです。 そして、Pro-Life(命を守る)に誠意をもって向き合うのならば、妊娠中絶のみならず、すべての人びとの命、生きものの命を守ることを考えない訳にはいきません。 ローマ法王により任命された、バチカン放送の本部長であるアンドレア・トルニエリは、今回の米国最高裁判決を歓迎する一方で、すべての命を守ることが本物のPro-Lifeであると、説明します。 それは、妊娠・出産による母親の死亡を防ぐこと、恵まれない境遇にある妊婦を助けること、銃犯罪から人びとを守ること、貧困に喘ぐ家庭を助けること、親子がもっと一緒に過ごせる時間がとれるよう有給休暇を増やすこと、移民・難民の人たちを助けること、死刑から命を守ること。本物のPro-Lifeとは、一面的な中絶反対運動であってはならないと、トルニエリは訴えます。 本物のPro-Life。 それは、 赤ちゃんの命を守ること。 母親の命を守ること。 すべての命を守る子育てをするために、貧富の格差をなくすこと。 移民・難民の人たちの命を守ること。 銃犯罪から、すべての命を守ること。 「ハンティングはスポーツ」などとして銃を持つ権利を主張する人たちから、すべての動物の命を守ること。 白人至上主義者や、暴力的な警察官などから、アフリカ系アメリカ人を含む、すべてのマイノリティーの人たちの命を守ること。 「肉を食べる」文化を改めて、すべての動物の命を守ること。 死刑から、すべての命を守ること。 こうして見てみると、アメリカにおけるリベラル層、とりわけプログレッシブ(Progressive)な人たち程、これらについてPro-Lifeであることが分かります。リベラル層が本物のPro-Lifeであるには、妊婦自身のPro-Choice(選択する権利を守る)一辺倒ではなく、「赤ちゃんの命を守ること」からも目をそらさずに、しっかりと向き合うべきでしょう。 もちろん、判断が容易なことばかりではありません。例えば、卑劣な殺人を犯してしまった人の場合、死刑を望む遺族の感情など、とても心が引き裂かれる想いもあります。 ここで言える確かなことは、Pro-Lifeに誠意をもって向き合うのならば、妊娠中絶のみならず、すべての人びとの命、生きものの命を守ることを、真摯に考えない訳にはいかないという事実です。 アメリカにおけるPro-Life Movement(命を守る運動)は保守層を中心として、赤ちゃんの命の場合にのみ、Pro-Lifeを主張します。それは、母親の命に危険があろうが、性暴力による妊娠であろうが、もはや一面的な中絶反対運動になりつつあります。白人至上主義にアメリカを戻そうとするドナルド・トランプを、いまだに支持する過激な保守層であればある程、中絶における胎児以外の場合には、人びとの命に見向きもせず、むしろ反Pro-Lifeを主張しています。 それでは、本物のPro-Lifeとは、とても言えないでしょう。 前回を読む:どんな時もPro-Life(2)【格差社会の問題】 全シリーズ:どんな時もPro-Life (1)~(3) [1] [2] [3] 同じテーマを読む:倫理観 Comments are closed.
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