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2016年リオ・オリンピックでは、競技観戦後の日本人観客が、誰から言われることもなく率先してゴミ拾いをしていました。その不思議な姿を見て、世界は称賛しました。1995年阪神淡路大震災後の街には、生活用品や食料品を求める被災者たちが、開店前のコンビニを前に列をなしていました。この様子をテレビで見た世界の人々は、暴動の起きない日本へ尊敬のまなざしを向けました。
そうです、日本人の秩序ある行動や、平和の大切さを守る気持ちは、世界に誇れるものです。 しかし、日本でさえも、ずっとこうだった訳ではありません。 第二次世界大戦時の日本は、ナチスドイツのヒットラーと手を組むほど、平和への想いは希薄だったのです。わずか70年ほど前のその日本は、侵略し支配していた満州国を手放したくなく、自分の未熟な主張が通らないから当時の国連を脱退するという暴挙に出て、戦争への道を突っ走りました。今の時代の北朝鮮に類似する姿が、当時の日本だったのです。 そこから日本は変わりました。 原爆投下と敗戦により、平和を願う気持ちは国民の総意ともなったのです。 そして、世界に向けて人類の平和を願い訴えることと、過去の過ちを繰り返さないことを目的に、広島平和記念公園は爆心地に建設されました。この地から発信されている平和への強いメッセージは、訪れた者の心を根底から揺さぶるほど、とてつもない威力を感じさせます。 けれども、その気持ちも願いも、70年ほど経った今では、残念なことに色あせてきた気がしてなりません。 その見本のように、安倍政権は、選挙の争点としては持ち出さず、裏でコソコソと憲法9条(戦争の放棄を明記した条文)の改正を狙った動きをしています。例えば、憲法96条(改憲の方法を明記した条文)の改正を先にしておいて、改憲のハードルを下げた後で、戦争が出来るような改憲をするという「裏口入学」と批判される方法。幸いにも、これは今のところ成立していません。 他方、憲法の集団的自衛権の解釈を変えること(条文はそのままだけど、その解釈の方法だけを変えて、部分的に戦争が出来るようにする)は残念ながら2015年に国会で可決成立されてしまいました。これは国民投票の必要なく、しかも改憲の必要もなく、国会の採決のみで出来てしまう。 これらのように安倍政権は、民意を問うことなく、戦争ができるような態勢づくりを進めています。 一方で、その安倍政権を当選させているのは、紛れもなく日本国民です。 もちろん、選挙にはさまざまな争点がありますし、対抗勢力の資質にもよります。しかし、それをもってしても、裏でコソコソと戦争が出来る態勢づくりを固めているような政権に票が集まることから、多くの日本人の平和を願う気持ちは色あせてきていると思ってしまうのです。 安倍政権は「万全の備えが、日本に戦争を仕掛けようとするたくらみをくじく大きな力を持つ。それが抑止力だ」と説明しています。 けれども、本当にそうでしょうか。 そこで、次のどちらに賛同するのか、考えてみてください。
この1と2、あなたならどちらを基本として、国づくりをしたいですか。 国と言うと、なんだかピンとこないかも知れません。そこで、あなたの家庭に置き換えて考えてみてはどうでしょう。
どうでしょうか。 ここで少なくとも言えることは、戦争ができる態勢をとっていなければ、戦争はやりたくなってもできないということです。 世界に向けた人類の平和を願い訴え、過去の過ちを繰り返さないこと。広島平和記念公園の想いを深く真剣に考えたならば、何があっても戦争だけはしてはならないという強い信念こそが、日本が世界に最も誇れるものです。 それを誠実に考えるならば、戦争という暴力行為には一切加担しないことを、日本に提案したいのです。 それは、アメリカの核の傘下から脱退することや、米軍に日本から撤退してもらうこと。核兵器にぬくぬくと守られながら、本気で核の廃絶を訴えられるはずがありません。 また、自衛隊は今でも災害時に、被災者を助けてくれている立派な任務があります。それを自衛隊の唯一の任務とすること。 要は、武力については丸腰になり、非暴力をもって平和を訴えるのです。 「なんと甘い考えだ...」と思われるかもしれません。 しかし、非暴力で、インド独立の父であるマハトマ・ガンジーは、当時のイギリス植民地支配から自由を勝ち取ったのです。米国公民権運動のリーダーであるマーティン・ルーサー・キングも、非暴力で、黒人の法的権利を飛躍させました。 「けれども、武力がなければ、敵が攻めてきたらどうするんだ」と言われる方もいるでしょう。 実は戦後、日本国憲法を制定する時の国会審議で、同じ質問がされています。 「戦争には侵略のための戦争と、自国を守る防衛のための正しい戦争があるので、前者の侵略戦争だけを放棄するべきではないか」という問いに対して、当時の首相であった吉田茂は、「戦争の多くは国を防衛するためという名目で行われているので、正当防衛を認めると戦争を誘発することになる」と反論しました。 もう、戦争は何があっても絶対にしない。そういう強い気持ちが、敗戦直後の日本にはあったのでしょう。 紛争があれば、国連を通じて解決していく。時間はかかるけれど、戦争だって時間はかかる。世界で最も平和を望む国として、その自らの姿勢をもって世界中の人々に伝える。 武力的に丸腰になることは、危険です。危険ですが、戦争をすればもっと多くの危険や犠牲者がでることは、歴史が証明してます。そして、戦争は憎しみを生み、その憎しみを解消するのは非常に困難です。憎悪は増幅することで、世代をまたいで戦争が続く歴史もあります。 一気に丸腰になれなくとも、少なくともその方向に向かって着実に前進する。残念ながら安倍政権は、逆方向に向かってしまっています。 今こそ、本気で平和と向き合い、「人類史上最も平和を望む、モラルの高い国ニッポン」を築くチャンスなのではないでしょうか。 米国前大統領バラク・オバマが、同国現役大統領として初めて広島を訪問した時に残した言葉は、核兵器を手放せないでいるアメリカも遥かに到達できていない「モラル革命を望みたい」でした。 憲法によってすべての戦争を放棄した世界唯一の大国である日本が、世界最高峰に立てる最も身近な土俵は、正にここにあるのではないでしょうか。 がんばれ!ニッポン! 同じテーマを読む:暴力/平和 Comments are closed.
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