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【問題点A:とっさではない】
本当に起こったら、すごく怖いことですが、仮の話として想像してみてください。 家族全員で家で食事を楽しんでいる時に、突然、強盗が押し寄せてきたとします。とっさに家族や自分の身を守る時、いわゆるとっさの正当防衛の時、自分はどうするのか。何をしてしまうのか。自分でもわからないほど、一瞬で恐ろしい状況になってしまう可能性があります。 戦争は、この話のような、とっさの正当防衛のために起こることは、ほぼありません。複数の国から相いれない主張がなされ、お互いに譲らないために起こすことが、ほとんどです。主張がすれ違い、言い争いが過熱して、武力を伴う争いに発展させるまでには、多くの場合は年単位や十年単位の時間がかかります。 時間がかかるということは、考える時間があるということです。これが、ほとんどの戦争が、とっさの正当防衛のために起こる訳ではない理由です。 そこで、この考える時間で、何を考えるのか。それが重要になってきます。ある人はこう考えます。 「戦争とは、様々な主張や言い分が双方にあるが、行き着くところは、殺すか殺されるか。もし、殺してしまうと、自分は生き残るために殺人をしてしまったと、たとえどれだけ仕方がなかったことだと主張してみても、自分の良心においては、その罪を一生背負うことになるでしょう。そう苦しみながら生きていくよりは、自分は死ぬことを選びたい。」 もしも、世界中の大多数の人がこのように考えるとしたら、戦争はなくなるのではないでしょうか。 また、ある人はこう考えます。 「軍隊(自衛隊)は持つのか。武器は何をどの程度持つのか。軍事費(防衛費)はいくらにするのか。武力行使はどのような場合に、誰が決めることができるのか。味方の国が攻撃されたら、攻撃を受けていない国が攻撃してもいいのか(集団的自衛権の行使)。更に、やられてからでは遅いので、攻撃されそうになったら、される前に先制攻撃をしてもいいのか(先制的自衛権の行使)。憲法や法律で、これらを明確に定めるのか。国民を説得するには、どういった情報を提供するのか。反対する者には、どうやって対処するのか。」 これら二つのケースのように、考えて、決める時間があるのです。アメリカも日本も、時間をかけて着々と、明確な意思をもって選択しています。有事になってから、待ったなしでやる訳ではなく、計画的に選択しているのです。国民が選出した国会議員が決めて、その判断を許容するのか、あるいは拒絶するのかを、国民が選挙で選択しているのです。 しかし、残念なことに、両国の国民は、戦争ができる選択をしています。アメリカ国民は、先の大統領選でも見られたように、あらゆる争点においてくっきりと二分されています。それでも、戦争ができる態勢をおおむね積極的に許容していると言えるでしょう。日本国民は消極的ではありますが、同じく許容していることに違いはありません。 ですので、「とっさの正当防衛だったので、戦争は仕方がなかった」という理屈は成り立ちません。 日本は、憲法の定めにより、一切の戦争を放棄しているので、いかなる軍隊をも持ってはいけません。世界に誇れる、本当に素晴らしい憲法です。しかし、日本政府は、「一切の戦争とは言っても、防衛の戦争はやってもいい」と憲法の解釈をねじ曲げ、更には「自衛隊は軍隊ではない」と主張し続けています。 最近においては、自衛隊の海外派遣について、「非戦闘地域だから合憲」とか、「戦闘ではなく後方支援しかしていない」とか、「武器を使って殺傷する行為はあったが、それらは戦闘行為ではなく、勢力と勢力がぶつかっただけだから、戦闘地域に派遣している訳ではない」とか、もはや言葉遊びのような解釈のねじ曲げをしなければ、憲法と実際とのつじつま合わせができなくなっています。 憲法とは、権力者の支配欲が暴走して、第二次世界大戦時における日本のように国民を裏切らないために、権力者の権限を明確にして守らせる法律。国民を対象とした一般の法律と違い、権力者が守らないといけない法律なのです。 その憲法を、解釈のねじ曲げですり抜けたり、権力者のやりたいことを阻む憲法ならば、いっそ権力者に都合のいいように変えてしまえばいいと言い続けている政党や政権。そのような政党や政権を支持し続けていることから、国民は、戦争を許容していることになるのです。 「他に良い候補者がいないから、消去法で支持しているだけだ」としても、それはすなわち消去法で許容していることに変わりはありません。他に良い候補者がいなければ、消極的であっても、戦争を許容してしまって良いのでしょうか。 選挙においては様々な争点がありますが、「戦争」という争点を覆い隠してしまえるほどの争点とは、あなたにとっては何がありますか。 戦車、弾道ミサイル、戦艦、魚雷、ロケット、地雷、戦闘機、マシンガンなどを大量に保有していて、軍隊ではないと、本気で言えるのでしょうか。世界的に購読者を抱えるアメリカの大手紙ニューヨーク・タイムズが、自衛隊のことを記事にする時には、陸上自衛隊のことをArmy(陸軍)、海上自衛隊のことを Navy(海軍)と書きます。「自衛隊は軍隊ではない」という詭弁は、世界では通用しません。 これらが、「着々と、計画的に、明確な意思をもって、戦争ができる態勢を選択している」ということではないでしょうか。 戦争を起こすと、多くの無実の人々が犠牲になることは、いつの時代のどの戦争を見ても明らかです。自分や自分の愛する人たちが助かるために、多くの無実な人々が犠牲となっていくことを、「やむを得ないことだ」と、自分自身を納得させられますか。 自分たちの目の前で起きることさえなければ、他者が苦しんだり、死んでもいいと、自分の愛する人たちを説得できますか。具体的に、どういう言葉と論理で、説得するのですか。 「この戦争は、相手が挑発したから仕方がなかった」と言えるとするならば、「自分や自分の愛する人たちが最前線に送り込まれても、それでも仕方がなかった」と言えるのでしょうか。ノルウェーやイスラエルでは、男女問わず、徴兵制度があります。2018年からは、スウェーデンもそうなります。徴兵とは、単なる訓練ではなく、戦争を起こしたら最前線に送り込むために、行われるのです。 自分の男の子や女の子、孫たちや近所の子たちが戦争の最前線に送り込まれても、それでも「仕方がなかった、やむを得なかった」と、あなたは心から、正直に、本気で思えますか。 もし、思えないのであれば、いかなる戦争をも許容することは、「自分ファースト」になるのではないでしょうか。 「自分さえ良ければ、他者が犠牲になってもいい」と言っていることになるのではないでしょうか。「自分や自分の愛する人たちさえ身が守れるのならば、他者が危険にさらされ、苦しみ、死んでもいい」と言っていることになるのではないでしょうか。たとえ、それが消去法により、仕方なしに選んでいるのだとしても。たとえ、どれだけ大きな声で、兵隊さんたちに「感謝」を叫んでも。 「徴兵された人(徴集兵)はダメだけど、職業として兵士になることを選択した人(志願兵)だったら、良いのではないでしょうか」と言う人もいるでしょう。 けれども、内情を詳しくみてみると、多くの志願兵は貧困家庭や機能不全な家庭で育っています。そして、大学に行きたいけれど学費が払えないとか、貧困から脱したいために仕方なしに数年間兵士になるしか道はないと想い悩み、やむなく選択しているケースが多いのです。 実際に、健全な家庭や裕福な家庭で育った人や、あるいは戦争をすることを決める国会議員の子たちが、兵士になり最前線へ行くことは、ほぼ皆無に等しいのです。そうすると、恵まれない境遇に生まれてしまったがために、最前線へと送り込まれ、苦しんだり、死んだりしても仕方がないということになってしまいます。それを良しとは到底できないので、志願兵であっても良いことにはならないのです。 多くのアメリカ人は、自国が戦争しても、「本土が攻められることはない」と考えているのでしょう。戦争に負けたり、民間人の多くが犠牲になるとは、ぼぼ思っていないのでしょう。もちろん、そう願いたいし、誰にも被害を受けてほしくない。 けれども、戦争とは、勝つ時もあれば負ける時もある。アメリカだけでなく、どの国も、戦争ができる態勢をとり続けるということは、いずれどこかで悲惨な目にあう可能性があり続けるということです。それは、絶対に負けてくれて、敵に被害を与えられない国が、戦争の相手として受けて立つことはないからです。 惨劇を目の当たりにして、「こんなことになるとは思わなかった」と嘆いても、被害は起こしてしまったら、もう取り返しがつきません。そして、その恨みからまた攻撃する。攻撃された方も、憎しみから攻撃をやめない。暴力的行為には、本当の意味での終わりはありません。 戦争には短期的な勝利はあっても、根本的な解決はありません。なぜなら、やられた側は憎しみを抱き続けるからです。「戦争という名の大量殺りく」により、長い目でみた、世界の平和を得ることはできない。 大量殺りくという正当性のない行動により、持続する正義を得ることはできないからです。 続きを読む:戦争は回避できる(2)【問題点B:計画的な選択】 全シリーズ:戦争は回避できる(1)~(4) [1] [2] [3] [4] 同じテーマを読む:暴力/平和 Comments are closed.
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