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【モラルの境界線】
文化だからといって、常識だからといって、そして、相応の理由があるからといって、それが、モラルに照らして正しい訳ではないということ。それでは、「モラル」とはいったい何なのでしょう。 その問いに答えたのが、約300年前のドイツに生きた哲学者・カントです。カントによると、「モラルに照らして正しい」とは、「それが、全ての人にとって不偏的な法則となるに妥当であること」だと結論づけています。 少し分かりづらいので、例を挙げて説明します。たとえば、「奴隷制度」はモラルに照らして正しいのか、どうか。 奴隷とは、恐怖と暴力により支配され、自由・尊厳・人権を奪われ、労働を強いられ、搾取され、所有物のように扱われる人のこと。そして、その子どもたちも、また、生まれながらにして、永続的に支配される。 奴隷制度は、今から5千年も前にさかのぼった古代エジプトから、現代の発展途上国における事実上の奴隷搾取を含め、世界中で確認されています。1948年の国連総会において、基本的人権の保障と世界平和のため奴隷制度の廃絶を可決しましたが、現在もなお、推定4千万人にも上る人たちが人身売買や児童労働の被害を受けています。これほどまで根深く、長きにわたって社会にはびこっていることを考えたならば、それには理由があり、少なくとも歴史のある時点においては、文化や常識になっていた事実があるでしょう。 その理由とは、多くの場合、安くて酷使できる労働力の確保でしょう。 鉱山や農業などの重労働、神や祭祀に捧げるいけにえ、家庭内労働、性欲を処理する仕事、など。一時的にまとまった金額が購入時に必要とはいえ、長期的にみて安く酷使できる。また、所有する奴隷のもとに生まれた子どもたちも、永続的に奴隷として酷使したり売却したりできるため、一般労働者を雇い続けるよりも、奴隷を買うのでしょう。 これらの理由があるから人びとはその制度を続け、そして、多数派の人たちがその制度を支持し続けたことから、それが文化や常識になったのです。 仮に、このような制度が「モラルに照らして正しい」のであれば、「自分や愛する人たち、そして全ての人が奴隷になることが妥当だ」と、結論づけることが出来るはず。カントは、そう説いたのです。 そして、公平かつロジカルな思考力をもって真摯に向き合ったならば、誰も、恐怖と暴力により支配されたくはありません。誰もが、自由・尊厳・人権を認めてもらいたい。そして、たまたま奴隷の親のもとに生まれたからといって、一生を搾取され続けたくはない。 そうであることから、数千年にわたる文化や常識であっても、奴隷制度は、モラルに照らして明らかに間違っているのです。それは、「自分や愛する人たち、そして全ての人が奴隷になることが妥当だ」と、公平かつロジカルな思考力をもって結論づけることが一切出来ないからです。 前回に述べた文化相対主義は、広い視野をもって他者の文化を受け入れ、一見馴染みのない他者の文化や行動でさえも、理解を示すという観点から、素晴らしい思想です。自己の文化と違うから、片方が正しくて、もう片方が間違っているとすることではない、という基本的な出発地点ともいえる思想です。 けれども、モラルに照らしたならば、片方の文化は正しくて、もう片方の文化は間違っているとすることはあります。奴隷制度を許さない文化はモラルに照らして正しく、奴隷制度を許容する文化は間違っている。モラルの境界線を見分けるには、「自分や愛する人たち、そして全ての人にとって妥当だ」と、結論づけることが出来るのか、どうか。 「モラル」とは、そこにかかっているのです。 続きを読む:モラルって、何なの?(3)【肉を食べる習慣】 前回を読む:モラルって、何なの?(1)【文化や常識?】 全シリーズ:モラルって、何なの?(1)~(8) [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] 同じテーマを読む:倫理観 Comments are closed.
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